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『いじめ』の原因に対する多面的な理解

 日本人にその傾向が強いとされる,「同調」しやすい・・・というより,

 「同調」せずに「変わり者」「ヘンな人」と見られることを極端に避けたがる性質が,

 『いじめ』撲滅の邪魔をしていることは,多くの人が感じていることでしょう。

 小田嶋隆は『超・反知性主義入門』(日経BP)で次のような表現をしています。

>中学生くらいの年頃の生徒が展開する典型的ないじめは,「過剰な同調」の過程を通じて深刻化して行くものなのだそうだ。まず,ひょんなことからターゲットが決まる。きっかけは,ごく些細な偶然だ。それゆえ,数日でそのまま終息するケースも少なくない。本格的ないじめに発展するのは,クラス全体をまきこんだ「同調」がはじまった時だ。

 多くの生徒は,ターゲットの子供を憎んでいるわけでも,嫌っているのでもない。主導する何人かに調子を合わせているだけだ。「調子を合わせる」とは,「とりあえずいじめに参加しておく」ことを意味する。

 『いじめ』を受けている側からすると,何ともやりきれない行動だが,「人と同じ行動をする」ことが好きで好きでたまらない人たちが,「同じことをしている」という満足感を得るために,『いじめ』に参加する仕組みは理解しておくべきだろう。

 「やめる」空気になれば,やんでいく『いじめ』。

 ここに永続性というオプションをつけてしまうのが最凶の人間です。

 個人的な恨みや憎しみが隠されている場合もあるが,そこに集団を巻きこむ力は,

 「巻きこまれやすい人間」であふれている日本だからこそ,無視できないものです。

 ダンスにしろ,組体操にしろ,「モデルと全く同じ動き」を喜々としてこなしていく場を提供する学校教育には,

 本当に大きな「落とし穴」があると言ってよい。

 『いじめ』は,あらゆる角度からその解決や撲滅を追い求めなければならないものです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より