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修羅場を経験し,成長していく中学校1年生

 以下の内容は,読書編でご紹介する本の~「修羅場経験」が指揮者を育てる~という話の関連で記しておくものです。

  「中学校1年生」の部分には,教育の世界の場合,

 「初任者」「校長」「教育実習生」など,何でも当てはまります。

 企業の世界でも同様でしょう。

 激しい失敗,そして慎ましやかな成功。

 その繰り返しの中で,人間は大きく成長していきます。

 私が勤務している中学校では,12,3歳の子どもから,この修羅場を経験する場があります。

 もちろん全員ではなく,ある役割を自ら名乗り出た生徒だけなのですが,

 想像を絶する責任感の重圧を身に受け,気を失いそうになりながら,

 先を続けていく。

 「一体それはどんな経験なのだ?」

 と思われるでしょうが,ここでは伏せておきます。

 普通は教師主導で実施していく教育活動ですが,生徒が中心になって作り上げるものです。

 『学び合い』は授業場面での使い方で注目されますが,中学校の場合,

 本来の使いどころは授業以外の場面であることにやがて多くの教師が気づいていくことでしょう。

 一部のチャレンジャーにしか受け入れられない「お試し授業」などは決して続きませんが,

 全校生徒が一斉にかかわる場面で責任を感じるチャンスをつくってあげることの意義は,

 子どもが本当の意味で変わるのですぐに実感できます。

 実効性を売りにしておきながら,その実効性よりデメリット面を重視するようなものは,継続されないのです。

 学校を変える力のない教師は,「子ども全員に同じことをさせる」ことに教師の存在意義を見出そうとします。

 残念ながら,このような悪平等主義は,子ども一人一人の実態を無視しているという点で,

 最も質の悪い教育観なのです。

 自分から手を挙げた生徒を中心に,修羅場を経験させ,失敗をバネに成長させる。

 もちろん,適性に欠ける生徒には,無理をさせない。

 「子どもの資質・能力は,一人一人違っている」ことを知っておきながら,

 全く同じメニューを繰り返させるという「手抜きの教育」は見直さなければなりません。

 校長先生が,全国に類を見ない中学校の取組みを,英語訳も含めた本にして出版したいと発言されたので,その準備にとりかかる予定です。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より