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教育や外交が念力主義に陥るとどうなるか

 私がこのブログで繰り返し訴えている,教育関係の出版社に最も言いたいことは,

 小学校,中学校,高等学校のうち,どの学校の教師を対象としている本なのかをできれば

 本のタイトルで,最低でも本の帯で示すべきである,ということである。

 「教育の内容だから,だれが読んでも参考になるはず」という言い訳は通用しない。

 アクティブ・ラーニングに関する本でも,大学の先生向けなのか,

 小学校の先生向けなのか,はっきりしないものがある。

 私が批判した本の著書は,何と今度は「高校教師向け」とタイトルでことわった本を出している。

 前の本は高校教師向けではなかったのかというと,決してそうではない。

 売れなくても内容をシッカリ伝えるタイトルをつける出版社には敬意を払いたい。

 教育関係の本のほとんどはガッカリものばかりだが,その責任は編集者と著者がとるべきものである。

 本というのは返品がきかないためにやっかいな商品である。

 もちろん,立ち読みしてから買うのが正しい行動であることは理解しているのだが。

 
 さて,週刊東洋経済の佐藤優のコラムでは,日本の対ロシア外交に対する批判が展開されている。

>首相官邸が主観的願望で客観情勢が変化するとの念力主義に陥っているのではないかと心配になってくる。

 この「念力主義」こそ,日本と周辺国,連合国を最悪の戦争に導いた元凶である。

 そして「念力主義」は,「成果」が測定しにくい教育の世界に今でも根深く巣くっている。

 ピンチのときに,あるいはよい戦略がみつからないときに飛び出すのがこの「念力主義」である。

 「どんな子どもでもできるようになる」という思い込みと,

 「日本は必ず勝つ」という信念に共通するものは何かを考えてみればよい。

 
 「できるようになる」までのプロセスをしっかりと分析し,一歩一歩着実に小さな目標を達成させたり,

 ときに訪れる「ジャンプ」を喜んだりして,地道に授業をつくりあげていく努力を怠ってはならない。

 しかしそんな努力を放棄してしまう自称「教育理論」が注目される。


 こういうものが注目されるときの思考停止状態と「念力主義」の関連を注意深く自省していくことが教育現場に求められている。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より