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子どもが失敗したタイミングで「きまり」をつくらせる大人の愚

 教師の中にも,子どもが何かの失敗をしてしまったタイミングで,

 その子どもを追い込んだり追い詰めたりするようなかたちで

 「きまり」をつくらせてしまう人間がいる。

 子育てに苦しむ親がやりがちな過ちだが,

 子育て経験のない教師でも理解しておくべき愚行である。
 

 子どもがその「きまり」が必要だと自ら望んだつくったものでない場合,

 その場をしのぐために「きまり」に納得させられてしまったようなものは,

 およそ守られる保障はない。

 ダメ教師というは,こうやってできた「きまり」を守れない子どもをさらに追い詰めていく。

 子どもにとってはこういう教師に出会ったことが不幸の始まりとなる。


 私がブログで読んだことがある「きまり」は,

 部活に遅刻した生徒を責めて,「何時なら全員が集まれるんだ」と教師が恫喝し,

 改めて集合時間を決め直した,という事例である。

 
 まともな生徒集団なら,ここで「集合時間を遅らせる」などという「きまり」はつくらない。

 しかし,教師は「絶対に全員が集まれる時間を決めろ」と迫る。

 
 せっかく遅刻してこなかったほとんどの生徒の勤勉性は無視され,

 「集合時間を遅らせる」という決定に到ったらしい。


 こうしてできた「きまり」など,無視してかまわない。

 堂々と今まで通りの集合時間に集まる努力をすべきである。
 
 「事情があって遅れる場合は,連絡を入れる」という新しいきまりを追加するだけでよい。


 これくらい当たり前の対応策も思い浮かべられないような精神的圧迫を加えるろくでもない教師は,自分が同じような経験をさせられて苦しんだのだろう。

 自分が受けた不幸を他人にも味わわせようとする「おかしな平等意識」をもっている人間がいる。

 
 「他人の幸せを願っている」というわざとらしいことを言う人間を私は信用しない。

 わざわざそんな当たり前のことを口に出す人間ほど怪しい奴はいないのだ。

 
 ましてや,「他人の幸せを願わないようなやつはだめだ」などという人間は,

 要するに「俺の幸せを願え」と吠えているようなものである。


 ダメ教師に出会ってしまった多くの生徒や保護者は,嫌と言うほどそういう教師の弁明がましい言葉を耳にしてきたことだろう。

 私自身もさまざまな立場でそういう言葉を聞いてきた。


 子どもにとって,失敗したタイミングというのは,実は飛躍的な成長を遂げるためのヒントを獲得するチャンスでもある。

 教師は失敗したときこそ,教育の最大の機会だととらえて言葉を選ぶべきである。

  
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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