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正直すぎた秋田県教委~教科書を読まずに採択~

 やはり教育委員会が教科書を決定するという現行の仕組みは,無理があるようだ。

 地方教育行政法によれば,教科書採択の権限は教育委員会にある。

 文部科学省は,「各委員が職責を果たして,教育委員会が合議等により責任を持って行う必要がある」とし,

 4月には通知を出して,下部機関による絞り込みを禁じている。

 秋田県教委の教育委員が,正直に

 「すべての教科書は読んでいない」

 「読んでも理解できない」

 「教員が選んだものを信頼する」

 ことを打ち明けている。

 こういう教育委員会は全国にいくつくらいあるのだろう。

 ・・・・というより,たとえば数社ある中学の歴史教科書の特徴を読み取り,

 地域の子どもたちにとって最適なものを選ぶという作業を

 教科に関する専門的な知識もない地域の教育委員がすることは本当に可能なのか。

 もし「下部組織」の人間が,採択していた教科書会社と関係があったら,

 だれがどのような責任を問われるのか,明らかにされるべきである。

 監督する責任のある文部科学省は調査に乗り出すべきだろう。

 教科書の比較をどのような基準で行い,各委員がどのような意見を出しているかは議事録を読めばわかるのだが,そもそも読んでいない教科書の意見など言えないわけだ。

 採択される学校の多い少ないは問題ではない。

 ルールの意義を教えてくれる中学校の社会科教科書を読めば,

 ルール通りに採択が行われるはずだ,と言えないことも哀しい。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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