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環境が人を変え,育てていく

 何をもって幸と不幸を分けるかは人それぞれの基準があってかまわないだろうが,

 「おかしなことを言うお前は頭がおかしい」と子どもに言ってきかせ続ける親がいたらどうだろう。

 「おかしなことを言うお前は,すぐに教員をやめろ」と上から目線でモノを言う同僚の教員がいたらどうだろう。

 教育とは,だれが何のために行うのか。

 教師教育という分野は,だれを対象としているのか。


 人は,だれと一緒にいるかということが,将来を左右されるような存在である,
 
 ということに気づく経験ができる人はどのくらいいるだろう。

 「あの上司でなければ・・・」という悔恨の念をもって会社をやめた人はどのくらいいるだろう。

 校長に恨みを抱きながら現場を去っていく教員も少なくない。


 逆に,今の自分があるのは,~さんのおかげ,と感謝する相手がたくさんいる教師というのは強い。

 ~さんたちの教えを生かす,とか,~さんに恥じないことをしよう,とかいうように,

 ただ「子どものため」という単純な理由で仕事をしない教師でいられる。

 そういうすばらしい同僚や先輩に恵まれなかったであろう人の言葉は無残である。


 残念な指導力不足教員たちのまわりに,少しでも理解力・包容力・粘り強さのある教員がいてくれたら,ここまでひどいことにはならなかっただろう,と思われる事例は少なくないはずである。

 また,どんなに自分勝手な行動を指導力不足教員がとろうとも,学校というところはある程度のカバーができる場所であるはずである。

 しかし,残念ながら,それが難しい場所が一つだけある。それは小学校である。

 小中高の公立学校の中でも,これから若い教師の割合が急激に増えていく小学校。

 小学校教師にとって手強い相手は子どもだけでない。

 くれぐれも,親を相手にしてつぶれていきそうな若い教師を学校は全力でフォローしてあげてほしい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より