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好きなことをして収入を得られる教師たち

 教員採用試験の面接で必ず問われることが,

 「なぜ教師になりたいのか」という動機や使命感にかかわる質問である。

 教員採用試験というのは,公務員試験とかねているわけだから,

 「全体の奉仕者」になろうとする強い決意をもっている人を採用しなければならない。

 
 公務員になる人間を選ぶ人間というのは,実は非常に責任の重い仕事をしていると考えられる。

 面接試験では「面接官をだます」ことが可能であるから,

 「ださまれない」ためのノウハウを構築しておかなければならない。
 
 どこでボロを出させるかが,面接官の腕である。


 「安定した職につけた」と実感したとたんに働く意欲をなくす人がいる。

 「非常勤講師だったころの評判はどこにいったのか」とがっかりさせられる人がいる。

 こういう人たちの心に「灯をともす」存在が,学校現場にいるかいないかは大きい。

 
 私の場合は,とても恵まれていたせいか,「いやいや教師をやっている」というタイプの人に出会った印象が少ない。

 むしろ,「教師の仕事が楽しくて仕方がない」という人ばかりに出会ったおかげで,
 
 「自分もそうなりたい」と思うようになった人間である。

 面接でも正直に,そのように答えた記憶がある。

  
 教師になってから,最初の職場の先生方に恵まれて,「一緒に仕事をするのが楽しくて仕方がない」状態になった。

 好きなことをして収入が得られるなんて,何と幸せなことかと思った。

 最初の職場で覚えたことが,2校目,教育委員会,3校目と生きていった。

 
 若いうちは,子どもと一緒にいることが楽しい。苦しいこともあるが,何倍もの楽しさがかえってくる。

 経験を重ねてくると,一緒に働いている教員の存在がとても大切であることがじわじわわかってくる。

 教育委員会の指導主事の先生や文部科学省の教科調査官との出会いも重要だったが,

 その方々と一緒の場にいる力のある先生方との出会いが大きかった。

 
 これから教師になろうと考えている人たちには,こうした「人との出会い」ができる職場であるということも想定に入れて,「成長を続けようとする人間」であることをアピールしてもらいたいと思う。

 そのために,現場に足を運ぶ機会があったら,「この人との出会いで自分が変わった」というエピソードを集めてみてほしい。

 校長先生,荒れた子ども,希望を捨てなかった子ども,PTA会長さん,地域の商店街のおやじやおばさん,なんでもかまわない。

 教師は現場で成長する存在であり,現場とは学校の校舎内とは限らない。

 私はある教育委員さんとエレベーター内で一緒になった経験があるが,言葉をかわさず,挨拶だけでも,期待をかけられていることを実感したことがある。

 たとえ気のせいでも,期待をかけられる人間になろうとする意欲は忘れてはならない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より