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議論の空中戦・組織の空中分解

 空中戦とは,論点があいまいでかみ合うことのない議論を揶揄して呼ぶものだが,

 そもそもが,自己の主張をするだけで,議論をする気がない人どうしがぶつかるときに起こりやすいものでもある。

 たとえば物事を「良い」「悪い」と分類し,「良い面も悪い面もある」とか,「良くも悪くもない」という大部分の事柄を抜きにして語ろうとする人間にこのタイプが多い。

 「富裕層」という数%の人間と,その対極にいるこれも数%の人間を対比してみせる場合もある。

 主張そのものが極端すぎたり,大昔からの単純化されたイメージそのままだったりと,

 自分の頭の中がほとんど更新されないまま年齢だけ増していく教師たちにその傾向が強かったりする。

 「悪いことばかり指摘しないように」と注意している自分自身が

 「悪いことばかり指摘している」ことに気づけない。

 なぜ教師はこんな人間になってしまうのかというと,それは

 だれかによって教師としての自分を教育してくれる機会を逃してしまったことが主な原因だろう。

 教師は現場で成長する(はずの)人間である。

 そもそも教育力のある教師が周囲にいなかったのか,

 いてもそういう教師の言葉に耳を傾けなかったのか,

 あるいはそういう教師もあきらめて言葉をかけてくれなかったのかはわからないが。

 従順なままの子どもに囲まれて仕事をする教師が陥りやすい最も危険な落とし穴である。


 こういう教師が複数集まる学校では,組織が空中分解する。

 荒れている学校の典型的なパターンがこれである。

 「仲良く話し合いをしよう」なんてことが職員室でできない学校で,

 教師が子どもにそれを語りかけられるわけがない。


 さて,空中分解する組織のパターンには,

 リーダーが消え去るというものもある。

 「ワンマン経営」は成功する場合もあるが,「その後」が難しいことは,

 たとえを引っ張ってくる必要もないくらい,あちこちで見られる現象だろう。

 
 「はしごをおろされた人たち」が,「本物の政治家」であったかどうかが問われる政党がある。

 では,「本物の教師」とは,どういう存在でなければならないのか。

 「自分に厳しい人間である」という資質だけは,欠かしてはならないものだと思う。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より