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新しい入試のスタイルをご存じない方へ~ぜひチャレンジなさってください

 覚えていればできるなどという古いタイプの受験知識しかお持ちでない方には,

 公立の中高一貫校の適性検査問題に目を通してみることをお薦めします。

 新しい大学入試問題のイメージも,ここからやってきているものがあるので。

 「適性検査問題」は,いわゆる「学力検査」ではありません。

 なぜ「いわゆる」という言葉を使ったかというと,実質的には学力検査でありながら,

 それをやってはいけないというルールに従っているという名目だから,という意味です。

 ふつうの私立中の入試と何が異なっているかというと,大きな問題の中に,

 算数や社会,理科の問題が混じっているという形式をとっているからです。

 中には,知識はなくてもそこにある資料をもとに考えればわかるようになっている

 良問もあり,「知識よりも思考力を問うている」ように見えるのが,

 この「適性検査問題」の特徴です。

 
 では,「適性検査問題」への準備は,個人でできるのでしょうか。

 私は過去問なり,全国の問題をまとめている本がありますから,それをやっていればできると思っていますが,

 塾は適性検査問題自体をよく分析しており,パターンを見つけて,それぞれに合った

 「解法」を教えてくれているようです。

  
 中高一貫校の先生にお聞きすると,やはり勉強ができるできないというより,

 解き方,答え方に慣れている子どもがいるのがわかる,という話でした。

 そして,そういう子どもの方が受かりやすい(高い点が取りやすい)と。

 
 これは何を意味するかというと,本当に頭が良い子だけが高得点をとれるというわけではなくて,

 訓練されている子が点をとっている,ということになります。

 
 すでに塾業界の中で,「公立中高一貫校向き」という定評がある場所も存在し,

 成果が後押ししている模様でもあります。

 
 とても古い塾のイメージしかない方には,参考になりますので,

 ご自分が時間内に解けるかどうかを試すことも含めて,チャレンジしてみてはいかがでしょう。

 
 蛇足ですが,偏差値というのは,合格への目安,目印です。

 問題の難易度によって合格最低点もかわりますから,「何点とれば合格」とは塾も言えません。

 しかし,偏差値で示せば,合格の可能性がわかりやすくなるのです。

 言うまでもないことですが,確認まで。 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より