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« 正直すぎた秋田県教委~教科書を読まずに採択~ | トップページ | 世代間の交流を深める最良の場=学校 »

【真の教育改革】 数社の教科書から中学生が自由に選べるとしたら・・・

 教科書の採択のあり方について,学習観が一変する改革案を提示します。

 教科書は,教育委員会が自治体の学校で使用されるものを一律で決めるのではなく,

 生徒が書店に行って自由に選べる仕組みとします。

 当然,教室では,さまざまな会社の教科書をもった生徒たちが集まるので教師の側は混乱しそうですが,

 教科書は学習指導要領の内容が習得できるように編集され,文部科学省の検定を通過しています。

 基本的には,章ごとのまとまりが教科書にはもれなくあるでしょうから,

 「何かが不足する」という事態は起こりません。

 教科書ごとに評価規準が異なるわけではないのですから,別々の教科書が使用されていても,評価は公平に行うことができるはずです。

 入試問題もそのようにできています。

 同じ内容について,教科書によって表記が異なるのはなぜかを考えるだけで,

 授業は盛り上がるかもしれません。

 この際ですから,「教科書」は「教科用学習書」と名前を変更したらどうでしょう。

 短くすると「教科書」のままでもいいし,「学習書」と言い方を変えてもいいでしょう。

 国語の場合,教科書に掲載されている文章をそのまま使うのではなく,

 その文章を読むことでつけることができる力とは何かに焦点をあてて,

 教師自らが教材を選ぶことが重要になってきます。

 当然ながら,教師は全社の教科書に目を通し,それぞれの特徴を熟知した上で授業に臨むので,

 それなりの知識やスキルが身に付いていきます。

 教科書の指導書ではなく,教科書ごとの比較対照ができる参考書が必要になってくるかもしれません。

 「主たる教材」としての「教科用図書」から,

 「主たる学習材」としての「教科用学習書」への変化は,

 学習の主体が生徒たちであることを明確に示すことになり,

 日本の学校教育に大きな変革をもたらしてくれるように思います。

 何より,それぞれの教科書のどこがどのように優れているのか,

 本気で多くの人が長所を探すようになっていくでしょう。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より