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問題行動を起こした子どもの親とのかかわり方

 先日,旅行先のプールを家族で利用していたら,

 小学生低学年か中学年の子どもがあるルールに違反して,係員から注意を受けていた。

 禁止事項ではあっても,まあ,この程度は仕方ないかなと思ってはいたが,

 気づいた係員はすぐに飛んでいって注意をしていたから,

 「注意をしないことへの苦情」への対応を行うというマニュアルどおりなのかなと思いながら眺めていた。

 するとしばらくして,その子どもの父親と思われる人物が,

 全く同じことをして,同じ係員から注意を受けていた。

 
 教員になってすぐは,親の年齢が自分よりもずっと上で,

 どの方もそれなりの分別をもち,自分の子どもに対する教育に責任を持っているように

 見えたものだった。

 
 それが,だんだんこちらも歳を重ねるにつれ,そうではない親が目立つようになってきた。

 もしからしたら,それは昔から変わらぬことだったのかもしれないが,

 自分も親になってからか,気になる存在になってきた。


 学校では,子どもが重大な生徒指導上の問題を起こした場合,

 親を呼んで事情を説明し,協力を要請することがある。

 
 しかし,この場面で「もめる」ケースが増えてきているように思える。

 子どもよりも,親の方に問題があるケースが多い。

 
 昔は,「そんなことは他の生徒もしている」と責任逃れをする子どもが見られたが,

 同じことを親が言ってくる。

 
 交通違反でも同じようなことを言う人はいるだろうが,

 問題を起こしたのは本人ではなくて,自分の子どもである。


 要は,子どものころにそういう反応を教師にしていた子どもが,

 親としてというより人間としての成長ができなかったために,

 
 「親を呼んでも意味がない」という状況を生み出していると考えられる。


 学校では,親と話をすると,子どもの方がまともに見えてくることも多い。

 気の毒なことかもしれないが,自分が子ども時代に周囲にいた問題行動を起こす

 同級生の顔が親と重なって見えてくるのである。


 学校は「家庭と連携して教育に相乗効果が生まれるようにすること」をめざしているため,

 なかなか難しいことかもしれないが,

 「危険なにおい」のする親とはかかわりをもたないようにするのも一つの方法だろう。

 親より子どもの教育を優先すべきだからである。

 
 ちなみに,冒頭のプールでは,子どもは係員に謝りもせずに去っていったが,

 父親は気まずそうに笑いながら係員の話を聞いていた。


 社会の中での失敗は人間を育てている面があるが,

 親は社会の中ではなく,家庭の中で「親として」成長しなくてはならない。


 ロールモデルとしての自分の親は家庭にいない世帯が多いから,

 自分なりに成長の道を見つけるしかない。

 
 これは多くの親にあてはまることであり,学校に通って学べることではない。

 もちろん,他人事ではない話である。

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  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
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  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
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