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世代間の交流を深める最良の場=学校

 私が教員になってからしばらく,新規採用が少ない時期が続いた。

 そのおかげで,「若い人」がすべき仕事にかなりの期間,取組み続けることができた。

 今は段階の世代の教員の大量退職が始まり,学校の統廃合を進めなければ,

 その分の補充を大量採用という形で実現しなくてはならなくなる。

 すでに学校によっては,若い先生方が多くなり,

 「若い人」がすべき仕事を大勢で分担するようになってしまい,

 仕事量の格差(能力差に比例する場合が多い。つまり,できる人には仕事が集まる)が

 大きくなっているところもあるという。

 女性の中には「いつ産休に入るかわからないから,仕事はまわさないで」などと主張する教員もいるようで,

 管理職としては頭が痛いところである。

 さて,私よりも少し年齢が下の教員の実数は少ないのだが,

 学校がある程度の規模を維持すると,

 それなりの世代の人たちが集まることができる。

 異なる世代にはそれぞれ独特の価値観があり,多様な考えを生かすべき時代には

 なくてはならない環境ではないだろうか。


 しかし,学校にはあまり足を踏み入れることがない世代の人がいる。

 学齢に達していない子どもは言うまでもないが,

 私が注目したいのは高齢者である。


 今や,高齢者とはいっても,「60代は見習いみたいなもの」と言われるような組織もあり,

 70代でやっと一人前,80代で落ち着きが出て,90代でもまだまだ現役という時代である。

 足腰さえしっかりしていれば,頭は冴えているから社会の一線に復帰しても,

 それなりの仕事ができるような高齢者も少なくない。


 教育委員会はリスクを恐れるからどうぞとは言わないだろうが,

 学校という場で高齢者が活躍できる仕組みをつくることで,

 これからを生きる子どもたちにはとてつもないパワーをもらえるような気がしてならない。

 もはや「報酬」は「カネ」ではない,「子どもの笑顔」だけでよい,

 なんていう人を生かす政策を実現させる気概のある自治体はないだろうか。


 高齢者が中心のNPO法人が次々につくられ,グループごとにメンバーの強みを生かした

 「教育的プロジェクト」を提案して学校にPRしにきてくれれば,

 お金がない日本の教育では願ったり叶ったりではないか。


 借金まみれの日本を救う一番の方法は,高齢者の価値観が変わることである。

 もちろん,固定的な価値観を強化していく場になる可能性もある。

 
 そこは,斬新なアイデアを競って提供しあえるようなムーブメントで防ぐしかない。

 教育環境を変えることで,日本の未来をより身近な肌感覚で考えられるような次世代が育成できるのではないか。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より