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ブログ記事は書き手の「不安」を映す鏡~おとろえた部分を何でカバーするか~

 将来への不安は,多かれ少なかれ,どんな人でも抱いている。

 そして,その不安の解消方法は人それぞれである。

 ブログの記事に注目すると,書き手がどのような「不安」を抱えて生きているかがよくわかる。

 たとえば私の記事からは,どのような「不安」を私が抱いていることがにじみ出ているのだろう。

 文章の読み手には,書き手の「不安」を想像する自由がある。

 人によっては,「社会から忘れ去られる不安」から逃れるためにネットの世界に手を出していることがわかる。

 たとえば,「なぜそれを匿名ブログで公表する必要があるのか」と思ってしまう記事にでくわすことがある。

 関心があるブログに頻繁にコメントを書き込んでいくのも,「存在を認識されない不安」を紛らわせるための方法の一つなのかもしれない。

 私の教育に対する不安の最大要素は,

 「勘違い」している人たちが犯し続けている過ちによって,子どもの健全なる成長が阻害されることである。

 もちろんその背後には,「勘違い」しているのはこちら側かもしれない,という「不安」もある。


 小学校英語の導入は,「英語が話せる日本人」を本当に作れるのだろうか。

 大きな深みにはまって出られない学校をつくるのではないだろうか。

 子どもたちは今以上に英語が嫌いになるのではないだろうか。

 道徳の教科化で,「道徳的価値判断ができる人」が本当に増やせるのだろうか。

 「教師(評価してくる相手)の前だけはちゃんとしていて,裏では180度違うことをする」ような人間を増やさないことができるだろうか。

 私は中学校教師として,小学校の教師たちの悪口を子どもたちから散々聞かされている。

 小学校を卒業すれば,「演技」する必要がなくなるから,子どもたちは素のままで言いたい放題になる。
 

 ろくな授業をしない,遅刻をしてくる,役員の子どもだけ甘やかす,などなど。

 もっと困るのは,「小学校の先生は授業中にマンガを読んでいても注意しなかった」と,ろくでもない教師の肩をもつ子どもがいることである。

 

 それなりに長く生きた人間は,脳の衰えをほかの分野の力・・・経験にもとづいた使える知識とか,感情をコントロールする力など・・・でカバーしている。

 子どもにそっぽを向かれないことだけを考えて教育している教師や親を想像するだけで,自分にかかる負担の重さが増幅して感じられてしまうのが今の悩みだろうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より