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相変わらずミスジャッジが多い高校野球

 ゲームの展開が早い高校野球は,よそ見をしていると決定的なシーンを見逃してしまうサッカーのようだった。

 回転のきいているピッチャーの球を見るのは気持ちがよい。

 きれいなフォームからいいストレートをくりだす中京大中京の上野投手は本当によく投げていた。

 ピンチでも危なげなく切り抜けており,延長戦突入だろうと思って少し油断していたら,

 関東一高がサヨナラホームランで勝利してしまった。

 この試合では,関東一高にとって不利なミスジャッジが2つあり,こういうときは

 ジャッジで負けている方が試合には勝つ,という不思議な法則があてはまりそうな予感はしていた。

 主審のストライクゾーンもインコースと言うより,3塁側に大きくずれていたが,これは両チームにとって平等であり,「そういうものだ」と思って戦うしかない。

 しかし,アウト・セーフの判定は,不思議と,片方のチームだけに有利に働くことが多い。

 関東一高の送りバントは強い打球で一塁方向に飛んだから,あるいは先入観が生まれたのかもしれない。

 中京大中京の一塁手は二塁に送球したが,テレビの映像で見る限り,足が先に入っていた。

 ホースプレーは,見る位置(角度)が悪いと,判定を誤る可能性が高まるが,

 ボールをキャッチする位置と,ランナーがベースにタッチする位置が離れているから,

 タッチプレーよりも少し判定が難しくなるのも事実である。

 もう一つは,三塁ゴロの送球がそれて,一塁手がランナーにタッチしたプレーで,

 テレビではリプレーが出なかったので何とも言えなかったが,

 タッチした位置と,一塁手の様子を見ている限り,アウトだったのだろう。

 判定はセーフとなった。

 一塁審判の位置が,ラインよりだったことが気になる。

 もっと内に入った方が,タッチプレーになったときに見やすくなるというのは,

 私が大昔に審判講習会で習ったことである。

 ネット上では,高校野球の「世紀の大誤審」など,ミスジャッジに関する映像も多く紹介されており,

 「素人審判の質の低さ」がバッシングの対象になっている。

 甲子園出場校の選手の質の高さと,審判の技術の低さの乖離は,

 「審判の判定への絶対的服従」という「権威主義」「審判絶対主義」によって

 「ないもの」のされているが,テレビでリプレイを見ると素人でもわかるので,

 メジャーリーグのような新しいルールが高校野球にも(高校野球にこそ?)

 求められるのかもしれない。

 今のところは,ミスジャッジで苦しめられた方が負けないジンクスだけが,

 せめてもの救いである。


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  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
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