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異教徒を迫害する強烈な心性が育まれる小学校の授業研究

 小学校の教師は,中学校の教師と比べると,とても勉強熱心で,

 小学校教師向けの教育書は出版不況かつ少子化が進んでいる現在でも,

 山のように出版されており,自腹をきっている人も多いようだ。

 私もときどきタイトルだけ見て買ってしまい,だまされてしまうことがある。

 出版社の方には,ぜひ「小学校向け」という副題を本の表紙に載せるか,

 本の説明を出しておいてほしい。

 授業研究も学校ごとに熱心に行われており,

 公開授業や研究授業への参加者も多い。

 子どもの学力を高めようとする強い意欲をもっていただいていることは,

 公立小学校に通う子どもをもつ親としては,とてもありがたく思う。

 
 公開授業や研究授業の成果は,「研究協議」で何が「協議」されたかで決まるといってよい。

 お芝居のように事前の練習の成果をみせるような授業だったとしても,

 「協議」の題材は山のようにある。

 
 「協議会」に参加していて楽しいのは,意見の対立が起こるときである。

 授業者にとっては,自分で授業をしているだけでは気づきえないような発見をする

 きっかけを与えてもらえる機会である。

 
 ただ残念ながら,「授業」のことではなくて,「信奉者の方針」との違いにこだわる人がときどき見られる。

 「私は~と思う」ではなく,

 「(私が信奉する)~先生なら,こうおっしゃるだろう」なんていう発言の仕方である。

 ~先生がそこにいるのなら意味があるかもしれないが,

 わざわざ「~先生の考え(と思われること)」をその場で登場させる意味はどこにあるのか。

 思えば,そういう発言をする人は,授業中にとても険しい表情で授業者や子どもたちを見ていることが多い。

 
 つまり,自分が目にしているのは,

 異教徒による,異端行為であり,「悪魔の教育」だということを言いたいのである。

 
 『学び合い』を正面から罵倒する人も似たようなところがある。

 
 私としては,お互いを「悪魔」呼ばわりしている人たちのどちらも「天使」には見えようもないが,

 「より教育効果が高くなる悪魔はどちらか」という目で比べたがってしまう。

 
 しかし,当時者たちには,議論の余地はないのである。

 昔のように,政治権力者が宗論の決着をつけることもできない(そこが,最近怪しくなっている面はある)。

 
 私は,~したい。それは,子どもたちにとって,~という効果が期待できるから。

 いやいや,私は~を優先したい。それは,そのことができれば,自然に~ができるようになることが

 期待できるから。

 といった「議論」を期待したい。


 子どもたちの成長を心から願っている人たちが,目の前の子どもを見て,議論ができる「協議会」の運営を心がけていただきたいと思う。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より