ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« ひどい授業を見たことがない教師が多すぎるし,自分がひどい授業をしているという自覚のない教師も多すぎる | トップページ | ママ友『いじめ』を利用した子ども『いじめ』の陰惨さ »

「下から目線」のいやらしさ

 「上から目線」を気にする人間は,自らが「上から目線」をしていることに気づきにくい,という趣旨の記事を以前に公開しました。

 『下から目線』というのは私の造語です・・・・と言いたいところでしたが,「俗語辞典」にはしっかりこの言葉の意味が説明されていました。

 もちろん良い意味で用いる方法もあるでしょうが,私がここで言いたいのは

 「嫌らしい目線」「卑しい目線」としての使い方です。

 教育者の言葉というのは,自らの実践を語るまでもなく,その言葉には実践から得られた知見がにじみ出てくるものです。

 ある校長先生は,自分が一般教員だったころの話を好んでしていましたが,その言葉にはさほどの知見は感じられず,生徒は「その程度の先生だったんだ」という印象をもったと思います。

 実践を語ることによって,世の役に立つ,という方法もあるでしょうが,

 子どもたちにとっては自分たちに語りかける言葉自体が実践であって,

 「昔話」をされても心に響きにくいことを想像できない教師には,あまり期待をかけないでしょう。

 これは「子ども目線」の教育者像です。

 教育者でも子どもでもない人間が,「下から目線」で語っている姿を見ると,

 ハリー・ポッターに登場してくるピーター・ペティグリューの姿が強く連想されます。

 ピーター・ペティグリューに関してウィキペディアにはおもしろい評価が掲載されています。

 「善悪」という基準ではかる性質ではなく,「賢愚」のうちの「愚」を象徴する人物だというもの。

 愚者が語る教育論に代表される言葉は,

 「教育者なら,さぞご立派な言葉が書けるんでしょうね」。

 これは教育論ではなく,ただ教師たちの足を引っ張る存在でしかありません。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ 

« ひどい授業を見たことがない教師が多すぎるし,自分がひどい授業をしているという自覚のない教師も多すぎる | トップページ | ママ友『いじめ』を利用した子ども『いじめ』の陰惨さ »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

いじめ問題」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

生活指導」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「下から目線」のいやらしさ:

« ひどい授業を見たことがない教師が多すぎるし,自分がひどい授業をしているという自覚のない教師も多すぎる | トップページ | ママ友『いじめ』を利用した子ども『いじめ』の陰惨さ »

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より