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なぜ生徒の声は担任に届かなかったのか?~生活記録ノートは「交換日記」ではない~

 なぜ生徒は見殺しにされたのか?

 そもそも「生活記録ノート」とは,何のためにあるのか?

 教育現場で実際にかつてノートを使っていた立場から,コメントしておきたい。

 私の場合は,学年主任をしていたころ,「生活記録ノート」に記された内容のうち,良いことも悪いことも,「気になること」「全体に周知したいこと」に付箋をつけてもらって,各担任からその日のうちに預かり,毎日の学年だよりの原稿に使っていた。
 
 学年だよりはその日のうちに保護者に届くようになるが,必ず管理職のチェックを受けていた。

 また,「すべての生徒をすべての教師が育てる学校」という経営上の共通理解があったので,学年だよりは全教員にも配布している。

 気になることが書かれていた場合は,すぐに生徒を呼んで事情を聞くというのが教師として当たり前の仕事である。

 いじめにかかわる内容ならなおさらだし,冗談半分とは言え,「死」にかかわる言葉が出たら,即刻面談という流れになるのは当然のことである。
 
 生活記録ノートは,一日の学習と生活の反省を記入させるもので,「ふりかえり」の機能の重要性を認識する教師が活用すると効果的なツールである。

 基本的に教師は「励まし」の言葉を記入してその日のうちに返却する。

 ただし,空き時間があっても,すべて生活記録ノートへのコメント記入のために使うわけにはいかないから,判子を押しただけ(中学生なので,コメント入りの判子をたくさん用意していた)で返すこともある。

 

 重大な悩みを抱えていることがわかった生徒には,むしろコメントよりも面談・直接指導を優先する。

 生活記録ノートだけを見ても,担任が生徒にどのような指導をしたのかはわからない

 だから校長には担任から指導の経緯を聞く義務がある


 すでに教育委員会には報告されているかもしれないが,2チャンネルの炎上を招く原因は情報がすぐに出ないことにある。

 担任はすぐに病休に入ったらしいが,校長の指示でそうしたのか,教育委員会の指示なのか,といった「勘ぐり」も起こっている。

 しかし今回のようなことになると,「時間稼ぎ」など役には立たないし,やってはいけない。

 警察が直接担任教師に聞き取りをすることがあるのかどうかはわからないが,情報は学校経由で公開されるべきだろう。


 繰り返すが,明らかにすべきことは,生活記録ノートの内容ではなく,直接どのような指導が行われてきたのか,ということである。


 そしてどのような人間が教師になるべきではないかを明らかにすることが重要なことで,

 あわせてどのような人間を校長にすべきではないかを教育委員会が再確認するこ必要もある。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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