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「加害者の名前を言わないルール」をつくった小学校の考え方は?

 20年の中学校教師生活のなかで,驚くべきことを知るのは中1の指導をしているときに多い。

 いじめの訴えがあり,関係者に話を聞いているとき,

 「先生,いじめている生徒の名前を言ってもいいのですか?」

 と質問してくる生徒がいた。

 一瞬,何を質問されているのか意味がわからなかったが,

 小学校時代には,こういう聞き取り調査のときに,加害者の名前は言わないルールがあったようなのだ。

 それでは聞き取り調査にはならないはずなのだが,要は

 ことを曖昧にすませる習慣があったらしい。

 一応,事情は聞いたことにするが,本気で解決する気ははじめからない。

 
 私の方で理解が可能なのは,「話したくない」という子どもの心理である。

 「チクった人間」としていじめを受けるのは想像するだけで恐ろしい。

 ただ,こういう恐怖は,「隠した人間」として学校の教師全体から評価されることの重大さを認識させたり,

 聞き取りの対象者が多いときには,すぐに「取り越し苦労」だったことがわかる。

 みんなが同じことを話していることを知れば安心できるから。

 
 中には,隠していることや嘘をついていることが見破れない子どももいるが,

 その子どもが怪しいということがわかるのは,保護者の対応をみたときである。

 
 保護者が異常に子どもをかばっている場合は,保護者によって口止めをされているケースがある。

 
 いじめの問題が難しいのは,保護者間でも偽の情報が飛び交っていることで,

 ことの真偽については,いじめの被害者の言葉が頼りである。

 
 そういう意味で,いじめの被害を訴えることができる子どもや保護者は,とても貴重な存在である。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より