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『いじめ』に関する校長の「引き継ぎ」内容

 公立学校の校長で,10年以上同じ学校につとめているという人は少ないだろう。

 私の印象では,一般の教員よりも早いサイクルで入れ替わっていく。

 私が6年勤めた最初の学校では校長は3人,教頭は3人。

 5年勤めた2校目の学校でも校長は2人,教頭は3人出会った。

 校長から校長へは,どのような情報が「引き継ぎ」されているのだろうか。

 在校生の過去の『いじめ』に関する事例は,校長から校長へ引き継ぎされる内容だろうか。

 公立学校というところは,校長がどこまで生徒指導の内容にかかわっているのだろうか。

 岩手の『いじめ』自殺に関する調査結果が報道されているが,

 一般企業と同じように,トップがすべての情報を握っているとは考えにくい。

 「隠している」というより,「知りませんでした」というのが本当のことであることが多い。

 ある議員秘書の方も,「すべて秘書がやりました」というのは,実は本当のことを言っていると教えてくれたが,なるほどと思った。

 『いじめ』の場合は,前提が「『いじめ』問題は起こしてはならない」ではなく,「『いじめ』問題は起こらない」ことになってしまっていることが課題なのである。

 しかし,当然のことながら,学校では「あり得ない事態」がしばしば発生する。

 『いじめ』などは,「あってはならないこと」だが,「あり得ないこと」ではない。

 危機管理能力というより,危機意識が足りないことが,

 公立学校ではなく,すべての組織にとっての課題であると認識すべきだろう。

 東芝の問題はまたさらに別次元のものだろう。繰り返しになるが,

 学校の場合は『いじめ』を隠すというより,「知らない」というのが本当のところなのだろう。

 聞いてないから知らない,という現状をどう改善すべきなのか。

 それは,「また事務仕事か」と思われるかもしれないが,

 「『いじめ』の指導経過報告書」などは数年分,きちんと作成し,保管しておくべきである。

 『いじめ』の問題が発覚したら,評価が下がるから,隠蔽する,という悪循環を断つには,

 『いじめ』はどこでいつ起こるかわからないというスタンスでいる必要がある。
 
 大切なのは,『いじめ』に関係した生徒への指導であり,経過観察も怠ってはならない。

 『いじめ』は癌と同様,早期発見を心がけて,手を打つべき問題である。

 子どもに「これは『いじめ』ではないよね」と語るような教師ではなく,

 「これは『いじめ』だよ」と認めさせる教師が増える環境をつくるべきだろう。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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