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道徳でアクティブ・ラーニングを進めることの危険性

 いじめは,教師に気づかれないように,陰でねちねちと行われるのが普通である。

 このいじめをさらに助長しかねないのが,

 「道徳でアクティブ・ラーニングを行う」という方針である。

 いずれ,「道徳の時間が嫌だから,学校を休む」という生徒が増えてくるかもしれない。

 道徳の時間に起こるであろういじめのパターンはいくつも想像できる。

 いじめの標的となる生徒が発言した後,わざとしーんとする。

 賛成も反対もしない。

 「無視された」と思わせるタイプのいじめである。

 みんな,考え込んでいるふりをすれば,「いじめと断定されないかたち」でいじめができる

 議論するかたちに持ち込んで,最終的にいじめの標的とした生徒が孤立する方向へもっていくという,レベルの高い「いじめ戦略」も考えられる。

 発表の中で,教師には気づかないような,いじめの標的を連想させる何かを言葉の中にはさみこんでいくといういじめ。
 
 とにかく精神的な圧迫を加えるチャンスが増えるのがアクティブ・ラーニングであり,

 多くの発言の中で,いじめられていると感じている生徒の心がどんどん切り刻まれていく。

 それに気づけない教師が担任であれば,生徒は助長する。

 「ばれる寸前」まで手をゆるめないおそれがある。

 直接攻撃ではないいじめは,

 「私にはそんなつもりはなかった」と言い逃れが可能なものであり,やっかいである。

 

 「いじめを許さない」というスローガンを掲げた道徳の授業でいじめが行われていく・・・しかも深く傷をつけるタイプの・・・・可能性が否定できない。

 いじめに関する専門的知識と対処技能が教師には強く求められている。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より