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中学校教師の勤務時間が長くなる理由

 もし私が「中学校教師の勤務時間がなぜ異常に長いか」と問われたら,

 20年以上にわたって中学校教育に携わってきた経験から,次のように答えたい。

 まず第一に,問題行動に対する生活指導の時間が非常に長いこと。

 今回報道されている「教員の負担の重さと勤務時間の長さ」について,「文科省や自治体の教育委員会の調査が問題」という側面が強調され,「子どもに向き合う時間を確保する必要がある」などと言われているが,

 中学校教師の場合は,生活指導などで「子どもに向き合う時間」が非常に長いことが,そのまま勤務時間の長さに直結している。

 第二は,部活動の指導をしていること。これも一部の生徒ではあるが,「子どもに向き合う時間」として教師がとても大切にしている指導のための時間である。

 第三は,学習の評価の対象が学校の規模によっては数百人という大人数であること。

 これも,実質的には「子どもと向き合う時間」である。

 ノートやレポート,テストの解答を分析したり,間接的な指導として,評価を書いて子どもに返したり,よい作品を他の子どもたちにも紹介したりするために,多くの時間を費やしている。学校で直接的に子どもと接する時間を確保したい教師は,この仕事は家に持ち帰って行うのが一般的である。

 第四は,職員全体の会議だけでなく,学年の会議,分掌の会議,教科の会議,研修の研究課題追究のための会議など,学校の教育活動を効率的・効果的に運営していくために必要な情報の共有化,運営方法や内容の検討などに要する時間が多く必要であること。

 会議の時間は直接「子どもと向き合う時間」ではないが,これをおろそかにすると,指導上,知っておくべきことを知らないまま教育活動を行い,「時間がかかるが効果がない」という結果に陥る可能性がある。

 第五は,第一~四についての「記録」「報告」のための文書を作成することに時間がかかること。

 この「記録」「報告」は,他の教師たちにとって,余分な仕事を増やさないための貴重な情報になる場合が多いだけでなく,自分の仕事を評価する上でも欠かせないものである。

 個人的な理由では,

 第六として,学級だよりや学年だよりなど,家庭に子どもたちの様子を伝えるための内容を検討,吟味,編集する時間がかかる。

 第七として,深い教材研究をするために,多くの本を読むのに時間がかかる。

 第八として,いくつかの研究会に参加し,実践を発表するための準備に時間がかかる。

 第九として,校内の研究課題があり,資料の分析,新しい実践の提案のための企画づくりなどに時間がかかる。

 第十として,主任の立場になると,校内の教師の育成にかかわる仕事が増える。

 報道によって,以上のような中学校教師の実態が伝わっているだろうか。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より