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子どもが主役,先生も主役,訪問する人も主役になれる学校

 観光立国をめざす日本では,観光地に訪れる人だけでなく,観光地で暮らす人も主役になれるような取り組みが必要だと言われます。

 観光客たちが,モノや景色だけでなく,訪問先で出会う人とその生活が魅力的に見えることが,リピーターを増やし,安定した観光収入の確保につながることになると考えることもできます。

 このように「観光」というと,「訪れる人」と「迎える人」という二分法で捉えることになりがちですが,

 「人が主役になれる場所」という観点を使って観光の振興を考えると,よそから来たかどうかにこだわらず,

 「そこで自分が主役になれる条件」をもっと前向きに追究することができそうです。

 「どうせよそものだから」「通りすがりのようなものだから」ではなく,

 自由に出たり入ったりできる場であれば,そこは「だれもが主役になれる場所」なのです。

 「楽しませることで楽しむ」という方法も,ただ「客を受け入れる側」の視点ではなく,「訪問する側」の楽しみ方として,ありなのではないでしょうか。

 たとえば,ホテルが宿泊客に対して,お土産を持参した人は,レシートを渡せばホテルが買い取ってくれる。

 そのお土産を使って,ホテルで試食会をしたり,販売を行ったりする。

 ホテルの地元の特産品が売れなくなると思われるかもしれませんが,本当によいものなら販売促進効果も期待できるのではないでしょうか。

 北海道のホテルでカナダのお土産が買える。オーストラリア人とアジアのお菓子を食べながら談笑できる。

 家族だけで楽しむタイプのホテルもあって当然ですが,人と人との交流の場になるホテルもありでしょう。

 地元の人たちも集まってこれるような「開かれたホテル」の創造は難しいでしょうか。

 
 「主役」がたくさんいる観光地の姿を想像していると,

 学校のあるべき姿も浮かんできます。

 「学校」というハコモノには,教師たちが通勤し,子どもたちが通学してくる。

 授業を見学に各所から人が訪問してくる。

 教育の場では,もちろん一人一人の子どもが主役になるべきでしょうが,

 教師が主役になるべき場面もたくさんあるはずです。

 「人に尽くす」ことに喜びを感じることも大事ですが,

 自分の「主体性」を実感できる場面が人を成長させていく原動力になります。

 授業見学に訪れる方々は,教師との交流はあっても,子どもとのインタラクティブなかかわりはほとんどありません。

 それでよいのでしょうか。

 主役との直接的なかかわりなくして,教育を学ぶ機会とすることは可能なのでしょうか。

 教師向けの教育図書を見ると,わざとらしい構図の写真が表紙に使われている本に出会います。

 自己完結型の教育や学習にならないようにするためのキーワードとして,

 「参加」と「参画」を忘れてはならないように思いました。 

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より