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授業における「主体性」の発揮のさせ方

 子どもは学校で主体性を発揮することができない,と主張している人は,よほど惨めな学校生活を送ってこられたのだろう。

 部活動を選ぶときに,友達に誘われた方に入ってしまう,という「主体性のなさ」は個人的な問題としてあるかもしれないが,

 基本的には自分が入りたい部活動に入れるという意味で,主体性が重視されている。


 授業においても,こうした形での主体性の発揮をイメージできれば,

 課題を選択する場面を設けることによって,より主体的な授業への取り組みが期待できる。

 たとえば,日本の歴史を学ぶ上で,「時代が移り変わっていく様子を最もよく表しているものは何か?」という問いに対して,いくつかの答えが出されるとする。

 ある生徒は,戦乱に注目し,別の生徒は,対外関係に注目する。

 権力者に焦点をあてたいという生徒もいれば,社会的,文化的な面に注目したい子どももいる。

 自分なりに追究したい視点を選ばせ,調査と考察を行い,発表する。

 「発表」を嫌がる子どもは,「主体的ではない」と言えるかもしれないが,

 少なくとも視点を選ぶ段階では,生徒の主体性が頼りである。

 このような学習では何が大切かというと,同じ課題を追究していた生徒と,自分の結論が違っていたら,

 なぜそうなったのか,分析しようとする態度を身につけることができるからである。

 あるいは,自分と同じような考えをもっている生徒がいることで,安心感をおぼえたり,

 自分と異なる視点で考える生徒がいることで,新たな発見をしたり,議論をしてより適切な考えに修正したりすることができるようになるからである。

 異なるテーマで追究をしながらも,同じ結論に向かって近づいていたことを発見するときの喜びもある。

 「違い」に寛容になり,「同じ」では単純に満足したりしない,本当の「追究の鬼」ができあがる。

 こういう授業でも「主体性は発揮されていない」というのであれば,また別の話をしなければならない。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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