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« 道徳教育の強化政策の何を教師は危惧するのか? | トップページ | あまり知られていない成績を上げる方法 »

道徳の教科化で強化してはならない「ゆがみ」「ひずみ」「ねじれ」

 東京都教育委員の乙武さんが,今朝のテレビ番組で,教育現場に立った経験から,

 「道徳の授業の難しさ」を次のように語っていました。

 国語や算数の学習では,わからないものがわかるようになる喜びがある。

 道徳は,はじめから答えがわかっていることを扱うので,教師も子どももつらい。

 道徳と「教科」との違いがはっきりとわかる教師目線の言葉です。

 「教科」には,「教科学習」や「教科教育」という言い回しがありますが,

 道徳には「道徳教育」という言葉はあっても,「道徳学習」という表現はありません。

 これから必要になってくるのは,「道徳学習」を創造することだ,

 と言ってしまえばそれまでかもしれませんが,

 人間の生き方について,最も心が揺れ動き,苦しみながら成長するその時期に学習対象として本人が扱うことが,本当に子どもの成長にとってプラスになるのかどうか。

 こんなことを言っては失礼かもしれませんが,

 道徳の教育政策がこんなことになってしまった以上,

 今までの道徳教育の専門家や,道徳教育に関連する雑誌は役に立っていなかったことが証明されました。

 もちろん,新しい政策が必要だと訴えていたのなら,話は別ですが。

 道徳が教科化されると,「専門家」が求められる。

 今までだれもしてこなかった「専門家」づくりができる人が,どこにいるのか?

 しかし,そもそも道徳教育というのは,学校の教育活動全般を通して行うものであり,そういう意味ではすべての教師が「専門家」でなければならなかったはずです。道徳の授業を担当しない,学級担任ではない教師たちも含めて。

 ただでさえ「ゆがみ」「ひずみ」が問題だった道徳教育に,

 さらに「ねじれ」「ずれ」を付け足すような教科化の動きは,

 新しく出た学習指導要領をしっかりと読み込んでもらって,実践していくことで

 解消していくしかありません。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より