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エセ・アクティブ・ラーニングの見破り方

 アクティブ・ラーニングという宣伝文句をつかって公開授業を行っている学校を参観される方に,本物と偽物の区別をする方法を一つ提案しておきたい。

 たとえば社会科の授業の場合は,教師がワークシートの資料を日常的に使っているかどうかを確かめる。

 ワークシートは教師が選んだ資料なり,教師の視点での要点などが記載されているもので,

 子どもが主体的に学ぼうとする姿をそこから想像することは難しい。

 基本的には教師が教えたいことを,そのまま注入される子どもができる。

 私が参観した授業では,年間を通しての「教育の成果」からか,

 疑問を感じることなく,ただワークシートで教師が大事だと考えていると思われる内容を鵜呑みにして,

 「自分の意見」と称して教師の考えらしきものを淡々と述べている生徒が教室のほとんどを占めていた。

 グループでの発表なのに,みんなが同じことを言っていた。 

 それでは議論にはならない。

 どこかの国の政治と全く同じであり,民主主義的な社会を形成する子どもを育成しようとしている姿には見えなかった。

 子どもが発表しているからといって,それでよい,というのは小学校レベルであり,

 そもそも社会科という教科の目標自体が実現されないままであろう学習を「ラーニング」と呼ぶこと自体が誤りである。

 ただそういう問題授業や問題教師に対して堂々と「これでは民主的な社会をつくる人間ができるとは考えられない」と研究協議で言える自信のある方は少ないだろう。

 そういう方は,どの生徒でもいいから,「社会の勉強は何をしているときが一番おもしろい?」あるいは「社会科の勉強は何をしているときが一番充実感をおぼえる?」と聞いてみるとよい。

 その答えは,案外,授業者は知らないことが多い。
 
 看板の偽りを最も明確に証明してくれるのは,生徒の「証言」である。
 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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