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ママ友『いじめ』を利用した子ども『いじめ』の陰惨さ

 思い起こせば,私の中学校時代,つまり,今の中学生の親世代には,校内暴力の嵐が吹き荒れていた。

 『いじめ』も多発していたが,そのころは『いじめ』られる方が弱いから悪いなんていう論理もまかり通っており,教師も「相手にやり返せ!」などといういい加減な指導?をしていた。

 三つ子の魂百までならぬ,思春期の闇を四十五十まで引きずる親が,あちこちで出現しているようである。

 ママ友『いじめ』も今に始まったことではないだろうが,

 ママ友を『いじめ』ることで,子どもへの『いじめ』への相乗効果を狙っている人間もいるようである。

 学校側が『いじめ』られている側に立つ(法律に従えば,こちらを守るのは当然なのだが)と,

 この傾向が強まりやすい。

 『いじめ』る側の人間は,「勝ち負け」にこだわる性癖がある。

 『いじめ』て相手がダメージを受ければ「勝ち」。

 ただし,教師が間に入って,両者をなだめるようなことになると,「引き分け」というより「負け」になる。

 だから,どこかで挽回しなければならない。

 母子一体型の中学生・保護者が増えているから,

 子どもが「負け」た場合は,親が「敵を討つ」。

 親は直接的に子どもに攻撃できないから,

 ターゲットは相手の子どもの母親になる。

 このような構図でダメージを受けている母親は少なくないのではないか。

 この『いじめ』問題は,「教育問題」の枠で考えるものではなく,

 深刻な「社会問題」である。

 だから文部科学省だけに任せておいてはいけない。

 国の動きが遅い。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より