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アクティブラーニングが教育を劇的に劣化させる理由

 小学校における社会科の歴史の授業では,どんな内容を扱っているか,ご存じの方はどのくらいいらっしゃるだろう。

 今日は雑誌の編集者の方からご相談があったので,思っていることをそのままお伝えしたが,

 「形だけのもの」や「雑多な寄せ集めのもの」ではない内容重視の編集を基本にしている会社だったから,話がかみ合ってよかった。

 小学校6年生の子どもをおもちの方なら,すぐにわかることだと思われる。

 「織田信長はどういう人だった?」という質問に,小学校6年生はどんな答えを返してくれるだろう。

 事実だけを羅列してしまうようでは,全く意味がない。

 参考書に出ているような知識を注入しているだけの小学校があるかと思えば,

 いまだに「三段打ちのすごさ」などを教えたり,子どもに実演させたりして,

 「アクティブラーニングだ」なんていっている小学校もある。

 両極端ではあるが,共通点がある。

 何のために歴史上の人物の働きを考えさせるのかがわかっていないことである。

 えせアクティブラーニングの出現は,これまで以上に学力低下に拍車をかけることとなるだろう。

 学習の「ねらい」が何であるのかを子どもが「わかる」状態になるには,

 そもそも「学習」とは何なのかがわかっていないといけない。

 「それを学習とは言わない」と中学校教師が思うようなことが,

 「それこそが学習だ」と小学校教師は言い張る。

 アクティブラーニングの本質を理解しないで義務教育に導入すると,

 中学校は「小学校化」する。

 下手をすると,大学までもが「小学校化」することになる。

 大学教員の中には,もともと小学校の先生だった人が少なくない。

 実践の場をどこで過ごしたかが大事である。

 他校種の授業参観など何千回していても,学級担任をもっていなければ何もわかるまい。

 学校教育が劇的に劣化する原因になる改革への歯止めは何によって可能か。

 アクティブラーニングの「方法」を紹介した本など,もう必要ない。

 「方法」だけを頼りにする,「内容」知らずの教員が増殖するのを食い止める手立ては何か。

 最後の砦は教員採用試験なのだが・・・・。
 

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より