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自分自身は社会科の歴史で何を学んできたのか?

 戦後の歴史教育の歴史を「学校で何を重点的に学んだか」という問いを柱に聞き取り調査して,各世代ごとの特徴を知るような遊びをしてみたい。

 教科書をそのまま読むような薄っぺらな学習では,おそらくほとんど記憶に残っていないだろう。

 「ほとんど何も残っていない」にしても,「何かの役に立っている」感覚があれば,まだ救いはある。

 教育実習のために社会科教育法などの勉強にとりかかって,

 授業を行うには,「指導案」を書くことが求められることを初めて知る者も多い。

 というのは,自分が受けてきた授業には,解説をするための「指導書」が教師には必要なんだなということはわかっても,「指導案」なるものが必要だとは感じられなかった経験をしている学生が多いからである。

 順番通りに教科書を読んで,大切そうなところに線を引き,くわしい解説を教師がする。

 少しやる気のある教師だと,黒板に丁寧にまとめてくれる。

 こんな授業でも成立しない学校があるのだから,「それ以上に何を求めるのか」と怒られてしまうかもしれないが,

 生徒が頭を使う歴史の授業は,授業をする教師の方も,受けている生徒の方も,お互いに充実感を覚えることができる時間であり,そういう授業をつくりたい,という気になってくれれば,話は早い。

 まずは,教科書がとても学習の役に立つものであることに気づく一方で,学習の邪魔になってしまうものでもある理由が実感をともなって理解できれば,「教材づくり」への意欲もわく。

 資料はたくさん集めることができるが,どの資料を最初に提示することが最も効果的かはいろんなシミュレーションをしてみる必要がある。

 さらに,その資料を見せて,何(発問)を投げかけるのか,あるいは,生徒の疑問の解明から学習を始めるのか,どちらの方が次の資料が生きるのか,などと考えていく。

 中世の歴史について,絵巻物を題材とした授業を受けたことがない生徒は気の毒である。

 中世が「宗教の時代」と呼ぶのにふさわしい資料は何か,思い浮かべられない教師はかなしい。

 現代の歴史について,国際連合と冷たい戦争の関係を考えていく上で,どのような資料が最も生徒の課題意識を高めることができるのか。

 どのような風刺絵は読み取りやすいのか。あるいは読み取りに知識を活用しなければならないのか。

 「引き出しが多い」教師がつくる定期考査の問題は,同じ範囲の内容が出題されていても,いつも新鮮な匂いがするものである。

 どのようなテスト問題が最も印象に残っているかを聞いてみてもよい。

 何をどこからどのように学ぼうとする姿勢が身に付いたのか。

 端的に,歴史で「何を」学んだのか。

 「国際連合」という組織を題材にして,過去に学んだ歴史の流れを総合的に表現できる中学生がもっともっと増えてよい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より