読者に気に入られたいから・・・子どもに好かれたいから,感動させたい?
50分の授業で起こったことを文字で起こそうとすると,3時間以上はかかる。
だから,6時間授業があった日は,それを行うとまる1日の作業となる。
こういうことは,時間のある大学の先生とか大学院生しかできない。
40人の生徒が書いた内容をすべて打ち込み,それまでの思考の過程も含めて整理して分析すると,さらにその倍の時間がかかる。
授業研究とは,それくらいきついものである。
ブログで教育実践を紹介している人がいるが,
書いているものを読めば読むほど,その人がどういうタイプの人かがよくわかる。
実際の指導を具体的に書く場合,その内容を知って関係者が読むと,「いいことしか書いていない」ことがばれてしまう。
「書けないこと」が山ほどあるのが教育現場である。
気づいていないから「書けない」ものもあり,プライバシーにかかわるから
「書けない」ものもある。
こうした「書けないこと」が山ほど起こるのも,教育現場である。
いつも実践のことを書いていると,書く量や頻度が減っていると,
「書けないことが頻発している事態が起こっている」などという勘繰りを招きかねない。
「いいことをしたつもり」で,自分の指導を具体的に書いてしまっている愚かな人もいる。
裸の王様が最後に味わう屈辱は,私には想像できない。
自業自得と笑えるゆとりはない。
教師の中には,「受け身の人間」ばかりをつくるのが好きな人がいる。
それなのに,「指示待ち人間が増えている」と嘆いている。
自分がまいた種であることに気づけない。
こういう「勘違い」に敏感であるためには,常に冷静に状況を観察することが大切である。
子どもを感動させるのが大好きな人がいる。
子どもに感動を与えることが好きだと,口先だけで言うのは簡単である。
たとえば全国大会で最優秀賞をとり,感動を味わうことができるためには,何が必要か。
映画や音楽を聴いて感動するのは,家でもできる。
金を払えば,それを仕事にしている人から「与えらえる」。
教育はそれではダメなのである。
感動が大切だなどと公言するタイプの教師は,実は自分がそのことに酔うことが目的だったりする。
まさか,「子どもに気に入られたいから感動させる」などと書ける教師はいないだろうが・・・。
そう。教師なら書けない。
エゴの塊のような人間に,教育公務員である資格はない。
「本心」が見透かされてしまっている教師は,子どもの近くにいない方が,子どもは本当の感動を手にできる。
受け身の人間ばかりをつくる「原動力」は,
教師による子どもに対する「評価」である。
逆を行うだけで,教育のあり方は一変する。
ただ,それに耐え得る教師があまりにも少ない。
教師が教育を語れない理由がそこにある。
*この記事は,2012年12月24日『受け身の人間ばかりをつくる教師が語る決まり事』を加筆し修正したものです。
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