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知識軽視がもたらす「失敗の山」~アクティブ・ラーニングの「次」が大事

 アクティブ・ラーニングによって,活用可能な良質の知識がたくさん身に付くようになれば,一挙両得である。
 
 そこで忘れてはならないのが,

>二兎を追う者は一兎をも得ず

 という失敗への教訓である。

 知識を軽視することによって起こっている社会問題を整理してみればわかる。

 知識があれば絶対にしないミスをしたために,個人情報流出とそれに伴う被害が拡大する。

 足りない知識は,危機管理についても同様である。

 入試問題づくりでミスが起こるのは,出題者とそれをチェックするメンバーの知識不足と,調べて確認するというチェック機能が働いていないためである。

 アクティブ・ラーニングは,「今の自分に何が不足しているか」を知ることを大きなねらいの一つとするべきだろう。
 
 這い回った議論になるのは,何か決定的な情報なり知識なりが欠如しているために起こる,というごくごく当たり前のことを教師が指摘できなければ,教育として成立しない。

 とても重要な課題がスルーされてしまい,どうでもよいことでああでもない,こうでもないと繰り返す時間の無駄をなくす努力を教師はするべきである。おめでたいことに,小学校ではそれを放置していても,薄っぺらい教科書が学び終えてしまうので力がついていないことに気づけないまま子どもが卒業していってしまう。

 中学校には,小学校における知識の軽視がここまで悲惨な学力の実態を引き起こすのかという「実験による検証の結果」を示す子どもたちが大勢いる。

 中学校で,「失敗の山」は噴火することがある。

 本当の「知識欲」に芽生えるという,よい意味のエネルギーの創出。

 もう一つは今までの「自己肯定感」の崩壊という悲劇。


 何も知らないふりをして,教師の話に耳を傾けたり,話し合う必要のない内容を楽しそうにわいわいやっていたりすることで,教師が満足することを知っている子どもたちは,

 ゆがんだ「社会性」だけを学ばされて中学校に進学してくる。

 こういう子どもたちも被害者である。


 学校には,たとえば地域の自治会に参加して,地域の諸問題を解決しようとするという,将来のための能力をつけるという使命も与えられているが,国際的な問題まで含めたもっと広い視野で,さまざまな角度から社会についての諸問題を考える力を身につけるためには,自分から進んで多くの知識にアクセスしようとする態度を身につけさせなければならない。

 アクティブ・ラーニングを推進する上で重要なのは,より汎用性の高い諸能力を身につけていくための教材選択であり,何よりも良質な知識を基盤した思考なり話し合いなりが行われることが欠かせないのだという自覚を育てようとする教師の意識である。

 だからアクティブ・ラーニングの「次」にどんな学習を展開するかが重要なのであり,教師の指導力とはそこで評価されるのである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より