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女性教師が苦手な女子生徒の指導

 私は男性なので,言葉で実際に聞いているほどの苦手意識をお持ちなのかどうかわかりませんが,

 よく耳にするのが「女子の指導が苦手」という女性教員の声です。
  
 「お互いに腹の探り合いをしているような気がする」そうで,自然体で指導しにくいということ。

 原因究明に取り組んだ方もいらっしゃると思いますが,具体的な処方箋・対処法はあるのでしょうか。

 女子同士のいじめの方法として,「目で話す」「にやっとする」という表情合図タイプのものがあり,

 男性と違って表情だけで意思を伝達し合うことが女性は得意なのか,

 私が話をうかがう方も,表情に感情がわりとストレートに出てしまうタイプなのを自覚されているようで,

 「本当にやりにくいときがあるんだな」と思ってしまいます。

 もうすでにここまでの時点で,「性差」が語れることの不愉快さを抱いている方もいらっしゃるでしょう。

 私は自分の体験の範囲で,「傾向」を述べているだけです,と申し上げても「下らぬ言い訳」ととられてしまうかもしれませんが,話をもちかけられるのは女性の先生からなので,とりあえずそちらに責任転嫁しておきましょう。

 中学校の女子は(もちろん経験の範囲内での話ですが)集団をつくり,強く結束を固め,「一揆」を起こす場合があります。

 「一揆」は同じ意見であることが重要で,「ちょっと感じが違う」だけで「村八分」にされたり,「社内左遷」みたいな境遇に置かれたりと,わりとわかりやすい「いじめ」が発生します。


 男子は暴力に走る傾向がありますが,女子は陰湿な無視,にらみ,笑み,こそこそ話でいじめの対象に精神的プレッシャーを与え続ける「粘り強さ」がある。


 もちろん全員ではなく,教師になるようなタイプは基本的に「優等生」でしょうから,いじめに荷担した過去はなくても,いじめの傍観者であった経験はあるのでしょう。


 元「優等生」女子には,現役「いじめ集団」のボス女子は「嫌悪」の対象になり,

 それが相手にはストレートに伝わってしまったりするから,指導がやりにくい。

 では「男性教師に任せる」のが良策かというと,それは自分の立場をさらに悪化させる原因になりかねないので,結局は直接対決しかないでしょう。

 私のおすすめは,言いたいことは言い合う,・・・もちろん,教師側には「奉仕者」としての心構えが必要ですが・・・一度「本当にダメだな」と思うくらい,どうにもならないところまで落ち込む。

 そこからスタートすれば,案外すんなりと先に進める場合もあるでしょう。

 危険を冒すことへのためらいがあるのでそれが生徒に伝わり,ぎくしゃくするのです。

 もうやるしかない。

 「苦手」とか,「得意」という分野,ジャンルをつくる癖をやめることが,
 
 教師の側の基本的スタンスであることも付け加えておきます。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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