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テストで評価できない教師たち

 大学入試ですら記述式がないテストではあんまりだと言われ始めている時代に,

 「客観性が大事だ」という理由だけで,選択問題オンリーのテストを行っていた教師がかつていたようだ。

 短い時間で採点が終わったと「自慢」している。

 要は,採点が面倒くさいだけではないか。

 「問題の適切性」についての分析はしっかりしていたのだろうか。

 選択問題は,何も考えずに選んでも,4択だったら25%の確率で正解となる。

 だから,「勘でたまたま当たったか」どうかは,

 「他の多くの生徒ができている問題を正解できているかどうか」などを指標にして判断することになる。

 合計点が何点であるかによって,正しい学力が測れないことは明らかである。


 正答率が70%の問題を間違えた場合と,

 正答率が30%の問題を間違えた場合とでは,意味が異なってくる。


 選択問題といえど,教師は自分の手でしっかりと○をつけていく過程で,

 「力がついているかどうか」を判断している。


 もちろん,誤答のパターン分析等は,エクセルなどを活用する方が便利だが,

 それなりに熟練した教師なら,解答用紙全体を見ればだいたいわかるものである。


 選択問題だけのテストなど,味気なくて話にならないことは,評価を真面目に考えている教師ならだれでも気づくだろうが,一方の「書くのが面倒くさい」と考えている生徒にとっては,「もってこい」のテストになる。


 せっかく生徒全員が全く同じ条件で教師の出す問いに答えることができる場で,

 生徒なりの言葉で表現させないテストなど,教育上,何の役にも立たない。

 こういう問題で教師から生徒に伝わるメッセージは,何だろうか。

 想像力のない人間に教師をする資格はない。

 
 学力向上を支えるのはテストである。

 業者プリントばかりを使っている小学校の教師には,このことがどうも理解できないようだ。

 
 私の場合は,記述式の問題の採点の基準を明確にするために,

 何人かの生徒の実際の解答をプリントにして配り,それぞれの良さや課題を具体的に示すことで説明責任を果たしている。

 より「望ましい」解答を書き直させて,そこに自分の考えがどのように変わったかをしっかりと記述させることで,

 ようやく「テスト」は終わりである。

 
 さらに,「テスト」で「次の資料から,クラスで討論するのにふさわしい課題をつくりなさい」という問題を出したら,

 実際の答えを課題として討論を行う。

 
 「テスト」は学習の始まりでもある。


 中学校の教師なら知らない人間は一人もいないはずだが,

 社会科の場合,

 関心・意欲・態度

 思考・判断・表現

 資料活用の技能・表現

 知識・理解

 の4つの観点に基づいて,評価を行い,それを総合して評定を決めている。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より