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子どものアクティブ・ラーニングに対応した教員のアクティブ・リサーチで学習の質を変える

 一つ前の記事の結びで,

>生徒のアクティブ・ラーニングと同時並行で,

>教師によるアクティブ・リサーチ及びディスクロージャーを行うことで,

>「もれのない」学力向上とその把握が可能になるでしょう。

 と書いた。


 観点別学習状況の評価が入試の合否判定に使われているのに,その信頼性を保障するものがない教師たちにとって,アクティブラーニングを行う動機は何になるのか。

 それは「少しでも適正な評価を行うこと」にある。

 「適正な評価」を行うためには,生徒による「学習活動とその結果」が必要である。

 
 以前に紹介したある中学校の授業では,生徒たちの「学習活動とその結果」がほぼ同じ内容のものになった。

 「最も重要な部分を(生徒を含めて教師も)スルーする」という重大な結果を招いた原因にふれたが,

 こんな授業では「適正な評価」は絶対にできない。


 「適正な評価」ができているかどうかは,

 教師がどれくらい苦しんでいるかで判断できよう。

 
 「これで本当にこの生徒は理解していると言えるのだろうか」

 「思考過程は誤っているが,単なる知識としては定着しているようだ。だが,理解しているとは言えない。」

 教師がアクティブ・リサーチをかけることによって,

 子どもたちの本当の「学力」の把握に少しだけでも近づくことができる。

 
 役立つかもしれないのが,リサーチ結果を公開することである。

 
 それに対する反応,コメント,批判等が,学習を重層的なものにしていく。

 
 もしこのような教育に転換するとしたら,1回の学習ごとに,

 授業の準備に6時間,実施に1時間(50分),評価に5時間程度かかることになるだろう。

 
 8時から15時までのうち,実施のために5時間とられている状況では,なかなか苦しい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より