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個を確立する真の学び合いの姿

 大人は,自分の最も「醜い姿」が子どもに受け継がれていくことを自覚しておくべきである。

 家庭なら「親」として,学校の教員なら,「教師」として。もちろん,「大人」として。

 小学校高学年になると,女子たちは幼い男子たちと歩調を合わせて学校生活を送らなくてはならなくなる。

 その女子たちの行動様式に直接的な影響を与えているのが担任教師であることが,長い付き合いを通してようやくわかってきた。

 男子はまだ幼いため,異年齢の人間との付き合い方がわかっていない。

 母親べったりの幼児のままの子どもが少なくない。

 男子も女子も,小学校7年生は「依存心」の塊である。

 「大人がなんとかしてくれる」「なんとかするのが大人の仕事だ」というのは,

 ある意味では信頼関係がつくりやすいとも言えるが,小学7年生が「何もしてくれない」と感じるとそれも一瞬でなくなる。

 全く同じ言葉を同時に関係する生徒に投げかけても,意味の取り方が180度違うこともあるのは逆に興味深い。

 教師はどのような目的で,その問題に対処しようとしているかを考えてくれると,ありがたいのだが。

 中学生になって,ようやく男子の体の成長が加速するが,女子に様々な面で「追いつける」のは高校2,3年生らしい。

 こうしたとてもちぐはぐで多様な人間関係のなかで育つことは,「個の確立」を促すという意味では価値がある。

 「個の確立」を促そうとするとき,教師が強い関心を向けるべきなのは,

 生徒と教師の多種多様な言葉のやりとりを,集団の中に埋没しがちな生徒たちにしっかりと聞かせることである。

 真の学び合いは,教師が「個」を観察できるメリットを採用するために生徒を集団に埋没させるのではなく,

 生徒の「個」を浮き彫りにさせ,他の生徒が観察できる環境をつくることが大切である。

 教師と生徒との対話が,対話している生徒を育てるのはもちろん,他の生徒たちの内面を変えていく姿をつづった実践は少なくない。

 アドラー心理学は,個を確立するために大切にすべき習慣をたくさん提供してくれる。

 「個人心理学」と言われるが,「個を確立させる」ことに強い関心を持っている教師ならば,

 「集団」などという漠然としたものではなく,まずは「他者」に向かって関心がもてる「個」を授業のなかで育てていかなければならない。

>他の人の目で見て,他の人の耳で聞き,他の人の心で感じる

 『学び合い』の指導をしている教師が,もしいつまでたっても「自分(過去)への執着」に凝り固まっている子どもたちに違和感を抱くことができるようになったなら,それこそが教師としての成長の第一歩である。

 ある外資系投資会社の面接試験のポイントを紹介してもらったことがある。

 自分の主張ばかりする人間,知ったかぶりをする人間は,必ずいるようである。

 まず採用されないようだ。こんな人間と仕事をするのはごめんだ,と面接官=社員が思うから。

 情報を発信している「御本尊」が,アドラー心理学について一面的で勝手な解釈を披露しているので,異議を申し立てるためにこの記事を残しておいた。
 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より