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なぜ「注目される記事」になるのか?

 ぶろぐ村の「注目記事」にランクインされる仕組みはよくわからない。

 私のブログのアクセス総数はだいたい1日400件くらいで,ぶろぐ村からではなく,ネット上の検索で訪問される方も多い。

 だから昨日の記事なども,ランクインしているものの,あまり「注目されている」という実感はない。

 ただ,ココログにはどこからアクセスされているかがわかる仕組みがあるから,

 ああ,今日はこんな企業の人が読んでくれたか,今日はこの大学の関係者か,などと検索語を見ながら関心の方向性に気づいたりはしている。

 ちなみに,今日は目立っていたのが

 「小学校 担任 かえる」

 「小学校担任 はずれ」

 などといった検索語からの訪問であった。

 新学期が始まって,いよいよ担任教師の「ダメさ」加減に親が黙っていられなくなる時期であるということでもある。

 他人に読んでもらうつもりのない文章を書く人は,自分の家の日記に書き入れておけばよいわけで,わざわざ公開する必要はない。

 なぜ私は1日16時間以上働いているのに,ブログを書く時間をとれるのかと言われれば,それは書きたいからだとしか答えようがない。

 書かずにはいられないことが,多数あるという理由に尽きる。

 かつて,学級だよりや学年だよりを毎日のように出していた理由は,それを書くのが楽しかったからと,子どもや保護者にメッセージが直接届いていることがよくわかる出来事が起こるのがうれしかったからである。

 それと比べると,コメントが入らないこのようなブログは,どうしても「言いっぱなし」という空しさが抜けないが,書かないですましていたら,あるいはストレスがたまる原因になってしまうかもしれない。


 行政に私がもう少し長くいたら,それこそストレスでどうしようもなくなっていたかもしれない。

 ただ部署的に言いたいことが言えたところだったので,被害は最小限に食い止められた。

 しかし,私以外の教師が苦しんでいることもよくわかる。

 学校には,言いたいことの1%も口にできない人がたくさんいると思われる。

 「和を乱すこと」の「悪さ」の方が,「正しいことを言うこと」の「正しさ」よりも優るから避けたいと考えてしまうのが,日本人の悪い癖である。

 「正しいと思うこと」が,どの程度の正しさを持っているかが,口に出さないことによってわからないままで放置される状態が続いている人も多いだろう。

 「正しいと思うこと」は,はっきりと言うべきである。

 たとえば・・・・・なんて勢いで生々しい現場の話を書けば,「注目」はより高まるだろうが,このブログのスタンスは「教育論・教育問題」について語ることである。

 「忙しい教師がブログなど書けるはずがない」=「ブログを書くような教師は暇なやつだ」というニュアンスを臭わせている真性に暇な人にあきれてしまったので,こんな記事になってしまった。

 ネタが尽きると登場するどうでもいい道楽の話が教育論・教育問題にアップされた場合,自動的に削除される機能をぶろぐ村には充実させてほしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より