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教員免許の国家資格化と教員国家試験の行方 その3

 教員免許の今後を考えると,今後,地方の極小規模校の統廃合を進めていくために,

 「小中学校の両方を教えられる教員」が必要になってくることから,

 「義務教育免許」の創設が考えられます。

 ところが,これが非常にくせものでありまして,そもそも小学校と中学校は学校文化が180度以上??異なっていて,異次元空間に近い風土が違いがあり,これは本人の環境適応力というか,よほどの対人感化力がなければ,小中を行ったり来たりするのはほとんど不可能に近いというのが私の実感です。

 管理職は子どもに直接接する機会が少ないので,どうにでもなります(実際にところは小学校は小学校,中学校は中学校で困ったことになっている実態もあるようです)が,教員となると,非常に難しい。

 たとえば英語教育を小学校でまともに始めようとしたら,少なくとも中学校や高校でそれなりに英語が得意だった人間でないと,授業などはできません。

 小学校で英語嫌いを大量生産されることの恐怖を今,中学校教師たちは全身で感じ始めています。

 「義務教育免許」の話はここまでにして,

 私が現段階で想像している「教員国家資格」は,

 3段階くらいのレベルを分けて想定しているのではないかと思われます。

 それこそ組合の人が聞いたら湯気を出しながら怒るような話ですが,

 教員の国家資格を1級,2級,3級に分けてしまいます。

 1級は,「修士」や「博士」を対象とした,最も「高級」な地位。

 2級は「学士」のうち,授業も学級担任も分掌もできる人。

 3級は,授業はできるが,学級担任や分掌は行えず,そのかわり部活動の指導ができる人。

 給与体系が異なっており,3級の比率を増やすことで,

 教員の総数は減らさずに,人件費を抑えることができる。

 もちろん,国家試験は何度でも受けられるので,3級から2級に「昇級」することもできる。

 国家が教員の動きをコントロールできれば,教育の質が向上する,と考える「4級」の人たちがつくりそうな政策です。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より