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教師の仕事は「文化的雪かき」か「雪だるまづくり」か

 読書編で紹介した村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』に登場する「文化的雪かき仕事」とは,

 「自分以外の誰かがすべって怪我をしないように,人知れず,障害を取り除くようなもの」というイメージのようですが,学校の教師の仕事は,このたとえをもとに考えると,どうなるでしょうか。

 もし,教育現場でも,子どもにいっさいの失敗を経験させないようにするには,

 教師は徹底的に降雪の除去に徹しなければなりません。子どもに雪かきをさせることもできるでしょうが,ときに中学生ではどうにもならないほどの豪雪になることもあります。

 しかし一方で,雪崩に巻き込まれそうなときでもたくましく生きていけるようにする,

 「生きる力」を身につけさせるべきだという考え方もあります。

 歩行者にとっては,下手に雪かきをされているより,雪がある程度積もっていた方が,凍結による転倒事故を防げるという考え方もあります。

 もしも,「雪を除去することがどうしても必要だ」ということを訴えたければ,

 「教科書にある内容をそぎ落とすべきだ」・・・つまり「屋根に積もった雪をおろす」ことを主張するという方法もあります。

 しかし,これは15年前に失敗しました。

 「ゆとり教育」は「日本の衰退を助長した(これからもその影響が出続ける元凶」とまで思われています。

 「雪だるま式」に膨れあがる国の借金もそうですが,日本という国は

 「すべての人にとって滅亡が致し方ないものと思われる日」が来るまで何もできないところなのかもしれません。

 読書編では,「雪合戦」ができる歴史学習が理想だと述べましたが,

 教師一般の仕事のイメージを,「雪」をモチーフにつくるとどうなるでしょうか。

 雪には「とけてなくなる」というイメージがありますから,プラスの価値を見出すことが難しいかもしれませんが。

 「さっぽろ雪まつり」の芸術作品のようなものを提供する?

 「雪」には「六花」「天花」「風花」「青女」「白魔」といった異称があります。

 太宰治『津軽』では,7種類の雪の名称が紹介されています。

 世界には形態ごとの名称しかなく,「雪」全体を表す総称にあたる言葉がないところもある。

 雪の結晶も一種類ではありません。

 めったに雪にふれ合えない関東平野に暮らす私にとって,「雪」のイメージは乏しいものですが,

 「たかが雪」という感覚ではない何かを教えること,伝えることが,教師の役割ではないかと思えてきます。

 女性の職場進出をめざすという狭い意味の運動のためではない

 「ダイバーシティ」という言葉。

 「多様性」を大切にする教育。

 知識の雪だるまにならないようにするための教育。

 もう「初夏」を感じる季節になっていますが,

 「季節と教育」というテーマで考えていくのもよいかもしれません。

 「日本人としての誇り」などいった大げさで扱いが難しいテーマも,「自然」からスタートするだけで自然に実現されてしまうかもしれないですね。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より