子ども時代に「教師絶対主義」が教師を志す問題点
毎年教育実習生を受け入れている立場の人間として,教員を志す人たちの傾向を見ていると,
子ども時代に,教育への疑問なり教員への疑念なりを一切もたずに過ごしてきた学生が多くなっているように思います。
能力の低い教員の立場から見れば,いわゆる「優等生」という子どもです。
学習能力に秀でた子どもの中には,教員の授業に対する不満なり問題点なりを指摘できる・・・実際に指摘しまう者もいますが,こういう子どもは,能力の低い教員からしてみれば,「問題児」です。一定の能力をもっている教員からすると,自分を「改善させてくれる」貴重な意見を述べてくれる大事な子どもという位置付けになるはずです。
本物の優等生ではなく,能力の低い教員にとって都合のよい子どもを「優等生」と括弧つきで示します。
「優等生」がもっている教育や教員への無批判的信頼感は,親に対するそれにやや近い気もします(実際の親も教員であることが多い点も指摘できます)。
これを「教師絶対主義」と名付けることにします。
「教師」とは「聖職」であり,そもそも批判できる相手ではない,という強い意味があるわけではありません。
初めて受ける授業がその教師のものであると,比較対象がない小学生にとっては,
「授業とはそういうもの」であると考えるようになります。
すべての教師が『学び合い』をさせるなら問題はない(それはあり得ませんが)かもしれませんが,
そうではない以上,小学生は困惑(混乱)します。だから,『学び合い』をやりたい教師は,他の教師だけでなく,子どもたちや保護者たちも「説得」する必要があります(それも不可能でしょうが)。
小学校が教科担任制に踏み切れない最大の理由が,ここにあることは教員ではなくてもわかることでしょう。
教師の力の「格差」が子どもにわかってしまうのは,子どもにとっても教員にとっても残酷な話です。
しかし,「指導力を比べる」という発想がない子どもは,中学校になっても,高校になっても,大学に行っても,
「その先生から高い評価をもらえること」だけに関心をもち,そしてそれが受験に直結するようなものであれば,
「そういう先生がしてくれた授業がよい授業だ」と考えてしまいます。
教師を志す人は,けっこう「いい人」が多く,「自分の成功体験を伝えたい」という意識をもっている場合が多いのです。
しかし,落ち着いて考えればわかること。そうやって「成功」したのは,クラスに何人いたのか。
たったそれだけのことを想像するだけで,授業とはどうあるべきか,という教師にとって最も重要な問題に向き合える位置に立てるのです。
教育実習は,たった3週間ですから,「立ち位置を自覚すること」だけで終わる場合もあります。
「ああいう先生になりたい」の「ああいう先生」が,どのような先生なのか,
箇条書きで100くらい挙げていく中で,教育とはどのような営みなのかを考えさせることにもなるでしょう。
「教師絶対主義」の「優等生」の問題は,
「問題」を「問題」として見る習慣がないこと,と言えます。
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