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「正しいことをしている」という信念は危ういもの

 私も何度かボランティア活動に参加してきたが,自分で数十人,数百人を募ってボランティア活動を企画・運営したことはない。

 担当している部活動の生徒に校舎の周りの雪かきを手伝わせたのは,「指導」というより「命令」である。

 生徒は楽しそうに取り組んでいたが。

 教師である私は,基本的に「正しいと思うこと」に舵をきって判断・行動し,指導する。

 しかし,「自分が正しい」とは思わないように心がけている。

 「正しいと思ったことが本当に正しいかどうか」の判断は,自分ではできない。

 周囲の反応を見て,予想するくらいのことである。


 教師の多くは,「自信満々」に自説を口にする。

 子どもを前にする場合はもちろん,同僚や研修しにきた教師に対しても。

 その「自信」によって,安心して話を聞くことができている,

 というメリットは大切だろうが,私は多くの場合,「懐疑的」な立場をくずさない。

 記事によってはそのように受け止められることがあるかもしれないが,

 「自信満々」な人間には必ず落とし穴がある。

 死角ができる。

 盲点がある。

 
 できたらその盲点を発見して,視野に入っていながらも見えていないものを明らかにしてあげることで,話を聞かせていただいた御礼としたい。

 
 「評価は難しい」「評価の研究は底なし沼のようなもの」という一般常識があるから,

 そこに挑戦しようとしている人がいるのはよい。

 しかし,「確実な評価ができるものだけでよい」なんてことを言ってしまうと,

 今までの教師などは必要なくなってしまう。

 
 観点別学習状況の評価への批判を堂々としない大学教授を,まずは「人文系規模縮小」の対象にしてもらいたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より