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理想の教師像を描ききれない教職課程の問題

 学力面でのコンピテンシーが話題になる以前より,このブログでは教師のコンピテンシーに関する考えを述べてきました。

 多くは教員採用試験のときに,必ず面接で聞かれる

>教師になった動機

>理想の教師像とは何か

 に対する「正解」を求めてのご訪問かもしれません。

 ご期待に添う記事はあるのでしょうか。

 このブログの記事も3500を超えているために,いつ何を書いたかをすべて記憶できているわけではなく,訪問者の検索語を調べることで,こんなことも書いていたのだなとふり返らせてもらうきっかけになっています。

 次の記事は,2012年のものですが,書いている内容は30年前でも,おそらくは30年後になっても,変わっていないのが教育現場というところかもしれません。

 若い教師を育てるのは,教師集団であり,子どもであり,保護者であります。

 どうしたら一人前の教師になれるか。

 一人前の教師になるための障害になっているものは何か。

 その答にあたる記事を引用しておきます。

***************************

 どうしたら「一人前」の教師になれるか?
 
 優秀な教師の養成は,国家的な課題である。

 しかし,日本は横並び意識が非常に強い国で,一般社会も学校も,「優秀な教師を育てる」という意識は皆無に等しかった。

 だから,「優秀な教師は昇給を早める」なんて言われたら,優秀な教師も含めて反発するようになる。

 教師たちはお互いの顔色を気にしながら,できるだけ「優秀」にならないように,

 人から見えないところで「全力」を尽くすようになった。

 部活動(だけ)に命をかけているというか,他より明らかに「本気さ」が際立っている教員がいる。

 日本は,「全力は尽くしている」が,「実力のない人」にとても甘いというか,やさしい国である。

 自分より少しでも「優秀なにおい」がする教員に対して,露骨に「嫌な目」をしたり,投げやりな言動をする教員がいる。

 教師教育の「高度化」を大学院に担わせようとする人間には,こういう小中学校現場の教員の「習性」が理解できていない。

 だからほとんど「逆効果」に近い現状が生まれている。

 自分を「優秀」だと勘違いしている教師でも,自校ではおとなしくしている。

 しかし,一歩,学校から足を踏み出すと,急に「元気」になる。

 「よそもの」になると,学校内のヘンな「習性」が消える。

 これが際立っているのが「小学校」である。

 小学校教師は,「すべて」を求められるために,どうしたって学校内では「ボロ」がでる。

 しかし「外」に出て,自分の得意なこと,成功したことだけを語っているうちは,そんな「ボロ」には気づかれないですむ。

 お互いにその「ボロ」を知らずにすむ間柄では,非常にスムーズにコミュニケーションが進む。

 「優秀」になりたい小学校教師が「外に出たがる」理由がここにある。

 そして最後に行きつく先は,大学の教員。行き止まりである。

 どうしたら一人前の教師になれるか?

 そのためには,「優秀な教師をつくろう」という,「優秀でない自覚がある経験豊富な教師たち」の強い信念が必要なのである。

 「一人前の教師になったな」

 という声をかけてくれる教師集団,その瞬間の言葉に本当の意味を感じられる教師集団が,真に「一人前の教師」をつくるのである。

 「優秀な教師」になる道は,容易ではない。

 特に,安易に「優秀な教師」の真似をしようとする人間,させようとする人間が,そういう教師が生まれる道を閉ざしてしまっている。

 小学校では特に,「こういう方法でうまくいく」ということが語りやすい。

 実際に,「こういう方法でうまくいった」という実践もあるだろう。

 しかし,そこには教師が「一人前」になれない重大な問題が隠れている。

 ここを教師教育の場面でしっかり理解させることができれば,大学や大学院は使命を果たしたことになる。

 私が教えた大学院生は,最低の指導案で最低の授業をしたおかげで,最高の教訓を得た。

 実践紹介をしてくれる人間=餌をくれる人間には,本当に近づきたくなるだろう。

 しかし,それが実力のつかない最大の原因なのである。

**********************

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より