ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 教師の仕事は「文化的雪かき」か「雪だるまづくり」か | トップページ | 教師が「評価」を伝えることができる生徒は1日何人までか? »

野球型からサッカー型の授業への転換

 これからの教育で,授業はどのように変わろうとしているのだろうか。

 スポーツにたとえると,

 「野球型」から「サッカー型」への転換といえるのかもしれない。

 野球型とは,監督が最初から最後まで,直接的にゲームを指揮し,選手にそれぞれの役割を果たさせていくような授業で,教科担任の教師=監督のイメージである。

 攻撃の場面では,どの選手にも同じ「場」が与えられている。

 サッカー型では,試合が始まると,基本的には選手の判断でゲームが展開される。将来的には監督の脳と選手の脳が「同期」し,監督の思った通りに動かすようになるかもしれないが,同時に何人もが動いているサッカーでは,すべてを把握するのが難しい。だから,任せておく。

 攻撃の場面では,コーナーキックで背の高いディフェンスが加わることはあるが,基本的には決められた人間がシュートを撃つことができる。

 一瞬で守備と攻撃が入れ替わるために,選手全員が平等に攻撃に加わることができない。

 「活動量」としては,圧倒的にサッカーの方が多い。

 しかし,長い時間はできない。

 野球の場合は,決められた時間内に攻撃したり守備をしたりするスポーツではないので,時間が長くなったり短くなったりする。

 「思考できる時間」,「思考量」では,野球の方が多い。

 今までの教育は,どちらかというと,「野球型」に近かったのではないか。

 「~できる」ようになる時間は,人によって異なるから,クラスによって,時間が伸びて足りなくなる場合が起こる。

 「間」のなかで生きてきた人間としては,ピッチャーがセットポジションに入ってからの1~5秒間の「集中力」が勝負を左右することを体で覚えている。

 常に走り回っているようなスポーツには,あまり魅力を感じない。

 教師と生徒との大切な「間」を失わせる方向に改革が進まないように,注意を払っておきたい。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ   

« 教師の仕事は「文化的雪かき」か「雪だるまづくり」か | トップページ | 教師が「評価」を伝えることができる生徒は1日何人までか? »

教育」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

言語活動の充実」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

グローバル人材」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 野球型からサッカー型の授業への転換:

« 教師の仕事は「文化的雪かき」か「雪だるまづくり」か | トップページ | 教師が「評価」を伝えることができる生徒は1日何人までか? »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より