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日本に150年ぶりの遷都はあり得るか?

 870㎞という深いところを震源とした珍しい地震=深発地震が発生し,日本列島全体が揺れた。

 特に,関東地方の震度が大きかった。

 これは,関東地方の地盤が他と比べて軟らかいことの証明になったようだ。

 もっと沿岸に近いところで発生する地震では,関東地方の中でも震度が大きい場所が見つかる。

 「関東地方全体の地盤が軟らかい」ことに気づかされたことは,新鮮な驚きであった。

 日本は,最も地盤が軟らかい地域に,最も人口が集中している国である,ということである。

 台風や集中豪雨などによって,山崩れや土石流が発生し,住宅が押しつぶされる様子を見ると,

 「ここではないほかの場所に住宅があったら」とつい思ってしまうが,

 地震の場合は,いずれ「関東地方でなければ」と思ってしまう日が来るのだろうか。

 首都機能の移転は,地震災害対策としても,重要な国家政策の一つだろう。

 あるいは,文化的外交の拠点を東京から京都に「戻す」・・・・

 つまり皇居の移転によって,皇室の安全を守ることを主張する人も増えてくるかもしれない。

 もちろん地震災害が京都では起こらないというわけではない。

 しかし今回の地震による揺れの大きさの状況を見ると,関東地方はずば抜けて危ない場所である。

 一方で,この地震によって楽観的な見方も生まれている可能性がある。

 「震度5といっても,この程度なら・・・・」

 油断

 警戒

 楽観

 悲観

 不安
 
 用心
 
 ・・・

 気象にしろ,地震にしろ,

 今生きている一人の人間が「経験したことがない」程度のことは,

 地球の歴史から見れば全く「珍しい現象」とは言えないことだけは自覚しておくべきだろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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