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自尊感情を高める教育

 何となく楽しそうに「学び」の時間を過ごさせることは,それほど難しくない。

 難しくないことには,何かとても大事なものが暗黙のうちに切り捨てられていることを知っておくべきである。

 難しくないと言われていることを実践したときにうまくいかなかったときは,とても大事なことに気づくチャンスとなる。

 今,最も難しいことは,子どもに本当の意味での自尊感情を持たせることだと考えられる。

 わざわざ「本当の意味での」と書いたのは,「自尊」と「過信」・「うぬぼれ」・「自己満足」を混同してもらっては困るからである。

 企業による顧客満足度を向上させることと,顧客個人の自尊感情が高まることはイコールではない。

 企業は,ただの「個人」にこちらを向かせて,「顧客」に変化させる必要がある。

 教師も,ただの「個人」を授業に参加させて,「学習者」に変化させる必要がある。

 「顧客」と「学習者」は,何が異なるかは言うまでもない。

 教師が自分の教育活動への「満足度」を得ようとしたときに,それがただの「人気取り」になっていないかどうか,真剣に吟味すべきである。

 本当の意味での自尊感情が高まるためには,「主体性」を自覚できる「個人」になる必要がある。

 「主体性」が自覚できる「個人」とは,「自分」を「他人」として見ることができ,「他人」としての「自分」に対して客観的な評価ができる人のことである。

 「いや,それではますます,自分のことを嫌いになったり,深く悩んでしまったりする子どもが増えてしまう」

 と考える教師も多いだろう。

 実際にそういう子どもたちに接している教師のなかには,

 「そういう子どもと接しないですむ」方法をいろいろ考えるようになる。

 そういうのを「逃げの生活指導」と呼ぶ。

 「逃げの姿勢の教師」の前では,子どもは安心して自暴自棄になれない。

 問題が先送りされるだけである。

 教師が対峙すべき人間とは,「悩める子ども」である。

 子どもに自分と向き合う姿勢をとらせると,教師の仕事は増える。

 しかしそれこそが教師の仕事である。

 教師が考えるべきことは,

 「自分に向き合って悩み苦しむ子ども」にどのような教育的手立てができるか,ということである。

 具体的には次の記事で方法の一つをご紹介したい。

 子ども同士でわいわいやらせておくだけの場は,保育所と同じである。

 保育所でも,「見捨てられる」子どもはいない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より