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「頼りない先生」とどう向き合うか?

 新年度が始まって,PTA役員を決めたりする最初の「保護者会」が行われている時期である。

 私は教師になりたての頃は,この日が嫌で嫌で仕方がなかった。

 いろんな種類の香水の「臭い」で満たされる教室も耐えられなかったし,学級の代表を決めるときの気まずい雰囲気もしんどかった。

 40代後半になって,保護者と年齢が同じか上になるようになってようやく,

 「ツボ」を心得て,「気持ちの良い1年のスタート」を切ることができるようになった。

 最初の「保護者会」は,保護者との協力関係・信頼関係が持てるかどうかが決まる,とても大事な機会である。

 担任教師の心構えとしては単純で,「どんな親からも教えてもらおう・学ばせてもらおう」という姿勢がすべてである。

 教師が良い話をすれば,「聞き方」がどうかと思われる親も,身を乗り出して聞こうと変わってくれる。

 言葉というよりも,気持ちが届くかどうかが最も大切な場が「保護者会」である。

 嘘やお世辞はすぐばれる。飾ろうとする行為そのものが信頼を失わせる原因であることを知っておくべきである。

 
 さて,保護者の立場として,子どもの担任から話を聞く最初の出会いで,担任の力量が「とても不安」になってしまった方へのご助言というか,おせっかいな話を書かせていただきたいと思う。

 「頼りない」というのは,あくまでもご自分の「印象」であり,「主観」である。

 そこに,その教師が過去に担任した学級のよくない状況などの情報が加わると,「頼りなさ」が増大する。

 「頼りなさ」が不安で仕方がないという場合,

 まず第一に,「自分は担任教師から見て,子どもから見て,頼れる親か」という自問自答をする。

 答えがNOなら,「どうやって担任教師と協力し合って,子どもを育てていくか」という作戦を練ってほしい。

 YESなら,「自分を頼ってもらう方法」を考えてほしい。

 第二に,「自分の子どもは,担任教師から見て,頼れる存在か」という自問自答をする。

 NOなら,「自分は何ができるか」,YESなら,「子どもは何ができるか」を考える。

 第三に,担任教師に直接的に疑問をぶつけてみる。

 「先生が本当に困ったとき,頼れる人はどなたですか?」

 ここで,管理職以外の教師の名前が挙げられる人は,見込みがあるというか,心配はいらないと思われる。

 管理職の名前を出してしまった人には,

 「どのくらいの頻度で管理職の方とお話しされますか?」

 とたずねる。

 「ほぼ毎日です」という答えなら心配はいらない。

 そうでない場合には,

 「ぜひ私たちを頼って下さい」と保護者の側が「協力者」であることを表明していただきたい。

 相手のプライドを傷つけず,人を頼りにさせることは難しい。

 しかし,「頼れない教師」と「それが不満な保護者」の対立関係が生まれてしまうと,事態は悪化するしかなくなってしまう。

 教師の側が「チーム」として動けるようにする工夫を,保護者の方でもとっていきたい。

 それには,保護者がいろいろな教師に相談するというのもよい手である。

 教師の側が様々な情報交換を必要とする状況を作り出すという方法を,究極の「教師操縦法」としてご紹介しておきたかった。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より