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小学校7年生が中学校1年生に「変身」できる部活動

 今日も勝ってしまったために,明日の休日もつぶれることになった。

 こんな愚痴をこぼす中学校教師は増えているのだろう。

 私のように部活動の指導ができてナンボの世界で教員生活を送ってきた人間と,部活動に熱中する中学生にしてみれば,「嫌なら小学校の先生になれば」と言いたくなる教師たちである。

 「イヤイヤ顧問を持たされている」という中学校教師,

 「すごく熱心な顧問が異動した後に,その部をもたされている」という中学校教師たちには,

 心から同情する。

 教育に熱をあげているつもりだが,部活動なんかは別の話だ,という本音を,子どもの前で言える教師など存在しないだろう。

 即,来年度での異動を管理職に申し入れるべきである。

 そして,極小規模の中学校で,他の教師たちにたよりながらの生活を送り続けることをお薦めする。

 ただ,こんな教師もいたことを知ってほしい。

 私の祖母も教師だった。50代になって,卓球部の顧問をさせられた。

 それがきっかけで祖母自身も卓球をはじめ,99歳まで卓球をしていた。

 
 小学校7年生が,中学校1年生に見える時期が間もなくやってくる。

 部活動に入部し,上級生たちに鍛えられるからである。

 もちろん顧問が「鍛える」場合もあるが,顧問の「鍛え方」が足りないと,

 上級生たちが必ず手を入れる。

 それが中学校・高校というところである。

 
 小学校でも,縦割りのグループで交流をすることがあるだろうが,

 中学校の部活動とは比べものにならない。

 1週間の中で,教科担任の教師よりも多い回数,先輩たちや顧問たちと接するのである。

  
 中学校に入学後,その生活への抱負なり目標なりを書かせるところが多いと思うが,大多数の生徒が「部活動」を充実させることを目標にしている。

 小中連携ができていた私の勤務校では,保護者の協力も得て,夏休みの部活動に小学校6年生も参加して練習をしていた。その学年の子どもが中3になったときは,それなりに強く成長していた。

 小学校で4~5年,中学校で4~5年を過ごす,という義務教育学校の成立に向けては,部活動のあり方の検討も欠かせない。

 義務教育学校において,小学校の教師も部活動の顧問になれるようにすれば,中学校教師の負担も軽減できるかもしれない。

 小学校で担任としてはぱっとしない教師でも,中学生相手の部活の顧問としては花が開く,なんていう時代が来てもよいだろう。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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