小学生7年生は,なぜ「あいさつ」ができないか
中学校入学時点で教師が全力を投入しなければならないことは,子どもたちの「主として他の人とのかかわりに関すること」に関する欠点を直すことにある。それに3年間かかることもある。
その中心は,「あいさつ」である。
小学校第1学年及び第2学年の「主として他の人とのかかわりに関する道徳の内容」の(1)は,
>気持ちのよいあいさつ,言葉遣い,動作などに心掛けて,明るく接する。
第3学年及び第4学年では,
>礼儀の大切さを知り,だれに対しても真心をもって接する。
第5学年及び第6学年では,
>時と場をわきまえて,礼儀正しく真心をもって接する。
新1年生を迎えると,これらの定着度が著しく低いという実感を中学校教師は抱くことになる。
「小学校7年生」たちは,これらの何を小学校で学んできたのかと,毎年愕然とする。
グローバル人材の育成などというが,「あいさつのできない子どもたち」を大量に迎え入れる中学校では,それ以前のことから・・・全くのゼロから,スタートしなければならないことを意味する。
そして,これらの「補習」が中学校教育での最優先事項として必須になる。
「あいさつ」ができるようになることに関しては,最初の2週間でしくじると,取り返しがつかない。
老人たちは「教師から子どもに挨拶をしよう」とおっしゃるが,
これからお世話になる社会の様々な大人たちに対して,
「相手から先に挨拶してくれる」と誤解させてしまう教師たちがいるから,「勘違い小学校7年生」がうようよすることになるのである。
ときどき,廊下等で目が合うが,「先生から声をかけられるのを待つ」という姿勢の小学校7年生に出会う。
とても不思議な習慣が定着してしまっているものだとため息をつく。
「あいさつ」が大切なのだということを,しっかり指導されて進学してくれた「中学校1年生」ももちろんいるが,その指導が「そろばん教室」のような,習い事の場での成果だったりすることもある。
私は「あいさつ」がしっかりできている子どもを呼び止めて,「聞き取り調査」をたびたび行っているが,「小学校の担任の先生のおかげ」と答えた子どもは皆無で,習い事や家庭でのしつけのおかげであることがわかっている。
老人は「あいさつ」は相手に対して本当に心が開かれた状態でなされるのがよい,とおっしゃるかもしれないが,学校や就職希望先で面接試験を行っている他人に対して,「自分は心を開いていないからあいさつはしない」とか,中学校で,学年の先生でもないし,授業も習っていない先生には,「どういう人かわからないからあいさつはしない」などというのはあり得ないことなのである。
小学校ではどうして「あいさつができない子ども」たちがたくさん生まれるのか,その原因は単純なものだと考えられる。
小学校の教師に「一体感」がないからである。
存在としてもそうだし,意識としてもそうだし,協働的な指導体制についてもそうである。
小学校という大きな建物に入っていながら,子どもたちが多くの教師たちと間近で接する機会が非常に少ないことが,小学校の特徴でもある。
「マニュアル本」を読んで,自分の教室内でだけは,楽しげなあいさつができる子どもにしながら,教室から一歩外にでると,とたんにあいさつができなくなる子どもをつくっているという自覚のある小学校教師はいないだろうか。
「学級王国」という言葉は,何だかよさそうな場所にも聞こえるから,使うことをやめにしたい。
「イスラム国」と同じように,「この人の書いた本が気に入っている」などというレベルの担任教師が全身にまとっている独善性を,子どもに染みこませるという,社会から見れば最凶の場である。
「小学校7年生」が中学校で見せる特徴の一つに,教師が他の生徒と話しているときに,勝手にわりこんで問いかけてきて,教師が答えないとむくれるという行動パターンがある。
中学校では,最初の2週間で,こういう行動がなぜいけないのかを指導しなければならない。
小学校5年生,6年生で,「時と場をわきまえて,礼儀正しく真心をもって接する」ことを経験したことがない子どもたちに,その意味を教えなければならない。
では,どうしたら中学校に入って,気持ちのよい「あいさつ」ができる小学生を育てることができるのか。
一番良いことは,小学校が「学校のすべての教師が学校のすべての子どもの教育に責任をもつ」という基本方針を絶対のものにすることである。
道徳の時間の指導は,担任教師が基本的には直接的に指導にあたるものだが,道徳教育自体は,学校全体で取り組むものであるということは,教員採用試験に合格した人間なら知っているはずである。
だから小学校でも,間接的な意味だけではなく,できるだけ多くの教師(大人)が直接的にすべての子どもに向き合えるような教育環境を整えるべきである。
教科担任制もその一つの方法であろうが,方法などいくらでもある。
担任教師が教室を離れても支障がない教育体制づくりができない小学校には,災害対策などできるはずがない。
生活指導には,その分掌の教師の多くが立ち会って,上の学年,下の学年からの意見などを交えてもよい。
学級はもちろん,学年の枠を超えて教師たちが動く機会が小学校という職場では非常に少ないことが,孤立して精神疾患に陥る教師をうむ原因にもなっていることはよく知られている。
子どもと保護者の「荒れ」に対応できない教師を孤立させる環境は,中学校では全く考えられない(通常の教育活動では。部活動の指導に関しては,孤立するケースもあり得る)。
子どもたちから見て,小学校にいる教師たちが「まとまり」として見えないことが,「主として大人を中心とした他の人とのかかわりに関すること」に大きな課題を抱えている「小学校7年生」が大量に生み出される原因なのだろう。
家族の規模が大きく,学校外で「他の人とのかかわり」が多くもてた時代では,「他の人とのかかわり」がほとんどない小学校生活を送っていてもそれほど学校で課題が見えてこなかったことが,小学校教育の質の向上に結びつかなかった原因かもしれない。
家族の規模が小さく,学校外で「他の人とのかかわり」が少なくなっている現代で,「他の人とのかかわり」がほとんどもてない小学校生活を送っていては,「あいさつ」の習慣がつかないまま,中学校に進学することになる。
「あいさつ」ができる学校にする,という目標らしきものは教育課程届けでは散見されるが,その方法が書かれていない。
「全教師による協働的な教育活動」という曖昧な言葉では,何も書かれいないのと同じである。
小学校教師たちも,・・・たとえば『学び合い』を信仰している教師たちも,自分たちこそが『学び合う』べきだと強く実感しているのではないかと思う。
しかし,たかが『学び合い』という安易な教育方法だけで孤立するという悲劇も起こっているらしい。
そんなことをしている場合ではない。
まず教師全体で「まとまる」ことから始めてほしい。
中学校側からすると,小学校教育のおかげで全教師が「まとまる」ことの必然性を実感させてもらっているのでありがたいのかもしれないが。
« この2週間で悔いのない3年間が送れる | トップページ | 小学校7年生は,なぜゲーム機を学校に持ち込むのか »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「教育改革」カテゴリの記事
- 改正教育基本法第16条の問題点(2018.12.28)
- 今,手を抜いていると,公教育の民営化が本格化したとき,・・・(2018.11.24)
- 国後島で考えたこと~日本の教育(2018.10.02)
- 都合の悪いことに目を向けさせなくする教育(2018.09.08)
「リーダーシップ」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- マリオが総理大臣ならピカチュウを防衛大臣,ハローキティを外務大臣に(2017.12.02)
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
「いじめ問題」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 現場感覚のない人が社会感覚のない人にアドバイスを送る教育の世界の不思議(2018.12.01)
- いじめや暴力行為が多い自治体の「いじめ」対策の共通点(2018.10.31)
- いじめがない(認知されていない)学校で,いじめがある学校よりもたくさん実施されていることとは?(2018.10.30)
- データから見える「いじめ」発見の難しさ(2018.10.29)
「学校評価」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
- 「怒鳴り殺し」の生活指導(2017.10.18)
- 9月19日 食育の日と給食大量食べ残し問題(2017.09.19)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「仕事術」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
「教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事
- 遠慮しないで情報を提供しろ!~いじめを見逃す環境との戦い(2018.12.29)
- 偶然の重なりと緻密な演出~インスタレーションから受けた刺激(2018.12.22)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 量より質が大事なものと,質より量が大事なものとは?(2018.04.23)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「小中連携」カテゴリの記事
- 中学校化している?小学校の授業(2018.10.15)
- なぜ学習指導要領が「小学校寄り」になるのか?(2018.10.13)
- 小学校英語教育の最大の欠点(2018.08.11)
- 中1ギャップを考える前提としての小中ギャップ(2018.05.28)
- 小学校に望む本当の「働き方改革」=小学校が変われば「中1ギャップ」解消に一歩近づく(2018.01.30)
「道徳」カテゴリの記事
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 五輪ボランティアの数字を見て(2018.12.27)
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- チコちゃんに叱られる~おやじギャグが言える年齢になると,ホンネも漏れやすい(2018.11.11)
- 道徳教育が成立するための条件とは(2018.10.31)
「教育実習」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「教員の評価」カテゴリの記事
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- ペーパーテストだけで「評価」ができる「教科」はない(2018.05.26)
- 子どもの人間関係に対する不感症の影響力(2018.03.28)
- 自分のダメさを完全に棚上げできる才能の伝授(2017.12.29)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
「教員研修」カテゴリの記事
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
- 鉄道トラブルと学校教育の劣化の共通点(2017.12.23)
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
「生活指導」カテゴリの記事
- 南青山に似た環境の公立学校は,頑張った。(2018.12.23)
- 1000人当たりの暴力行為発生件数ワースト5は(2018.10.29)
- 「成果」を出すための「時間」(2018.10.10)
- 子どもたちにとっての「迷惑行為」とは何か(2018.09.23)
「『学び合い』」カテゴリの記事
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 子どもから有能感を奪い取る方法(2018.11.25)
- 人間の醜さを露呈させる教育方法(2018.01.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント