日本の教育の「終わり」の「始まり」
時代が大きく移り変わっていくなかで,公立も含めて学校現場では「変らぬ価値」を追求する一方で,新たな対応にせまられている。
それが「外部評価の目」である。
ただの「外部評価」ではない。
どんなに教育のド素人にでも理解してもらえるような「何か」を示すことが,その「評価」につながる,という「外部評価」である。
「東大合格者何人」という数字は,最もわかりやすく,評価されやすいものである。
一部の公立高校でも,それに向かって突き進んでいる実態があり,実際に東大合格の力がつけられる生徒が集まっている。
ただし,教育の専門家ではなくてもわかるような数字を評価することが,「外部評価」の役割なのだろうか。
残念ながら,実態はそのような状況になっている。
そうすると,このタイプの数字がない学校では,新たに「点数が稼げるもの」を作文しなければならなくなる。
涙ぐましい努力をした結果,理解されないで終わり,ということも起こる。
今,最もこの「外部評価」に悩まされているのが,国立大学だろう。
せっかく能力の高い学生を集めているのに,その力を伸ばし切れてない,という「外部評価」を受ける大学が,淘汰されていく時代になっている。
そもそも「国立大学自体の必要性がなくなった」ことを主張する国会議員もいる。
どうせ国が出すカネが多い少ないの違いだけだから,国立と私立の2種類がある必要はないという話には,それなりの説得力もある。
私立大学の側からは,「どうしてこっちにくる額が少ないのか」と文句を言える。
文部科学省は国立大学の運営交付金をカットしていく一方,予算の重点配分を行うことで,私立大学の不満をそらしているようだが,今後,国立大学の教員の質が下がっていけば,ますます「国立はいらない」という声は高くなっていく一方だろう。
国立大学への文部科学省の嫌がらせは,思い通りに進んでいる。
そして,国立大学におりてきている文部科学省の役人たちが,大学で何かをいじってくることで,本省での「出世」の足がかりにしている。
国立大学というよりも,すでに文部科学省という組織の段階で日本の教育は「終わり始めている」ことに,どれだけの人が気づいているだろう。
自分の学校の宣伝が上手な教師が増えている。
今や,都立高校の教師には,「セールスマン」の資質が求められているのである。
これを「新しい教師の姿」と呼ぶべきか,「教育の終わり」と呼ぶべきか。
日本には,優れた教育を「優れている」と語れる教育学者がいないことが,最も深刻な不幸の元凶なのだろう。
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