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「爆買い」の語源と中国人観光客が増えた理由

 「ばくがい」は漢字に変換できない。

 「爆買い」という新語は,中国人観光客によって生まれたものだろうか。

 なぜ「爆」なのか。

 「バカ売れ」という言葉は以前からあった。

 「バク」は「バカ」とかけられている面があるのだろうか。

 「大人買い」というのとはちょっと違う。

 バブルのときに,ヨーロッパなどで買い物をしていた日本人のイメージに近いのだろうか。

 最近,雑誌にも目を通せていないので,「爆買い」という言葉を最初に使った人がだれかも知らない。

 炊飯器など,中国では日本の何倍かの価格だそうで,親戚などの分もまとめて買っていく人がいる,というのはニュースで見たことがある。

 「観光立国」というと,「自然や文化財に親しみに来てくれる」というイメージが強かったが,

 「買い物に来てくれる」ということを想定においたビジネスも次第に拡大しているようである。

 たとえば,学校や旅行業者にとって切実な問題になっているのは,

 遠足などでの「大型バス」(観光バス)の確保が難しくなっている面。

 学校にいて,世の中の動きがよくわかる珍しい事例の一つである。

 中国人観光客のためのツアーがたくさん組まれていて,バスが大量におさえられてしまっている。

 少し前に,旅行業者が高校の修学旅行か何かのバスのおさえを忘れ,謝ればいいものを,余計な騒ぎを起こして会社と高校に迷惑をかけてしまったという事件が起こったが,今は純粋にバスが足りないようだ。

 浅草は,平日でも外国人観光客でいっぱいである。

 秋葉原では,「爆買いツアー」の観光バスの列で道路がたいへんなことになっていると聞いた。

 国の政策の成果ということでもあろうが,ここ1,2年で,何かががらっと変わった気がする。

 それはどうして起こったのだろう。

 以下はただの想像である。

 日本人は,今まで,「自分の国はすごい」「日本はとてもよい国だ」「日本人はみんないい人だ」ということを,

 「自分から」は口にしてこなかった。

 日本では「自慢」と「高慢」の区別がはっきりしない。

 「俺はすごい」という記事をブログで書くと,「上から目線だ」とか,「いきがってんじゃねー」というヤジが飛んでくる国である。

 ところが最近,「日本礼讃」系のテレビ番組が増えており,

 外国人が日本を褒める,また,日本の生活の楽しさを本当に生き生きとして語るという特集が,

 よく放送されるようになった。

 それだけでなく,そういう番組のファンが外国人にも増えている。

 もちろん(?),中国人や韓国人ではなく,ほとんどが欧米人なのだが,アジアやアフリカ,南米の人もよく登場している。

 「日本はとてもいい国だ」ということを,日本人自身が言い出すようになったことが,

 もしかしたら大きな転換点になっているのではないだろうか。 

 日本が,グローバル化し始めている証拠ではないだろうか。

 グローバルスタンダードに染まり始めたしるしではないだろうか。

 中国や韓国に遠慮して,「日本はいい国」と声高に言わなくても,

 お金を持っている中国人はたくさん来日して,買い物をしてくれる。

 単純に,安くて品質のよい製品が多く,桜や紅葉の季節は景気もよく,富士山があって,温泉があって,海に囲まれていて,海産物をはじめとした食べ物もおいしく,人はみんなやさしい・・・・。

 イギリスと比べてしまうとイギリスが気の毒になってしまうほど,全部がそろっている国はあまりない。

 そういう当たり前のことすら,日本人は口にしなかった。

 今はSNSで情報は「信頼できる筋」から容易に手に入るようになっている。

 だから各国の訪日者たちが,日本のための広告塔になってくれているのが最大の理由かもしれない。

 日本が「自分の(国の)よさを自ら堂々と誇れる国」に変わったから,中国の人々は逆に中国という国を客観的に見えるようになり,日本への親近感を高めたことが,観光客の増加の背景である,というのは間違いかもしれない。

 この内容を書いてきて,中国人が受けてきた「反日教育」が,中国政府にとって逆効果になり始めているのではないか,という気がしてきた。

 次の記事で少しふれてみたい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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    「歴史の活力」より
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  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
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    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より