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小学校7年生は,なぜ確かな学力が定着していないのか

 友達と一緒に教科書や資料集を参考にしながら,教師の指導書に書いてあるような課題の答を探していく。

 「アクティブ・ラーニングを増やそう!」などという方針を学校としてとるようになると,目にすることが多くなる可能性のある風景だと考えられる。

 一方で,「確かな学力を定着させよう」という方針のもとで,小学校ではドリルや違法コピーのプリントによる単純な繰り返し学習の時間を増やしているところが多い。

 どちらかだけではダメなことは,優れた教師だけではなく,優れた教師に教育を受けてきた人間ならわかるのだが,学校が小規模化してきているため,「当たり前」のことが今では「ごく少数の優れた教師の実践」ということになってきている。

 指導案には,「理解させる」という言葉がよく登場するが,「本を読めば理解できる」程度のことを,わざわざ学校で行う必要はない。

 学校で5分間とって取り組ませればよい課題を,家庭でやらせている小学校の教師は,おそらく「家庭学習」の意味をわかっていない。

 「確かな学力」とは,「確かな学力」を身につけてきた経験のある人間にしかわからないことが,今の教育界にとっては最大のネックとなっている。

 小学校の免許を出している,ある大学院で教職教育に携わる教師が先日も嘆いていた。

 大学院生たちが,「言葉を知らない」のだそうだ。

 学力とは,時間をかければできる,繰り返しやればいい,という単純なものではない。

 指導力のない教師たちが行っているのは,

 牛の放牧か,機械化された工場での鶏の飼育に似ている。

 小学校の学習指導要領の解説の内容の薄さについては,今後も議論が出てくるだろう。

 あれでは「解説」になっていない。だから「解説」の「解説」という本が売れるのである。

 小学生たちに,「頭を使う」場面を増やしてあげてほしい。

 「頭を使う」教材にたくさん出会わせてほしい。

 先日,ある小学生のこんな「嘆き」を読んで,つくづく思った。

>受験で中学校に入った人がうらやましい。

 当然である。出会ってきた「教材」の量と質が決定的に違うのだから。

 使っている語彙の質,持っている知識の量がまるで異なっていることにすぐに気がついてしまう。

 一般的な小学校の調子では,12年生くらいになっても学習し終えることができないような内容を,中学受験を経験した子どもたちは3~4年で習得させられている。

 タイトルと少し趣旨の異なる内容になってしまった。

 小学校7年生とは,まだ「学習とは何か」「自ら学ぶとは何か」がわかっていない子どものことである。 

 4月に出している中学校1年生の「自由課題」の作品を,別のブログで公開しているが,このような「頭を使う」課題を出した子どもから順に,中学生になっていく。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より