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「セールスマン」を見下す非常識人間はどこで生まれたか

 「セールスマン」という言葉は子どもの頃に聞いたことがあるが,

 「笑うセールスマン」(正しくは「笑ゥせぇるすまん」?)が放映された頃を境に,あまり聞かなくなった。

 「営業マン」の方が古い呼び方かもしれないが,今は性差別と誤解されないために,

 「ビジネスパーソン」という表現になっている。

 英会話を少しだけかじれば,カタカナ語を使うときに配慮すべきことが自然と身に付くはずである。

 それに,今時,営業の社員に「売ればよい」などという話をするための「講習」があるのだろうか。

 勝手に営業職の人向けの「講習」に低い価値付けをするような人間はどこで生まれたのか。

 単純に今のビジネス社会の知識に欠けているか,

 営業職の人々を見下している人間は,

 さらに教育の世界の人間まで見下そうとしている。

 そういう人間が「上から目線が気に入らない」という趣旨の話を公開している。

 開いた口がふさがらない。

 「自分はあんな講師とは違い,いい実践をしたのだ」と自慢したいだけなのだろう。

 このような非常識な人間を生んだのは,教育現場なのか。

 教育現場に入る前から非常識なのか。

 教育現場を離れても,常識は手に入らないのか。

 教育現場にいた人間は,「セールスマン」としては使い物にならない,という話は有名で,

 シルバー人材センターですら,もてあましている「人材」の筆頭が,「元教師」である。

 職業に貴賎はない。

 しかし相手を貶め,自らも同時に貶めているのが教育関係者であるのは悲しい現実である。

 
 ちなみに,営業の仕事を極めるための基本的な考え方を紹介しているサイトは多いが,

 どこをひっくり返しても「売れればよい」などという浅はかな発想はない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より